「私の勤めを最大限に行う」
(前回からのつづき)
これから起こるであろうことに彼自身が備えるために、聖チャールズは、人々の罪に対する罪滅ぼしのための犠牲として、彼自身を捧げました。また彼の仕事を整理し、遺言も作りました。
これらの準備が整った後、彼は毎日、病気の人や瀕死の人々を訪問しに出かけました。
人々の苦難苦痛に深く心を動かされ、聖チャールズは言いました、
「ひどい状態の、この惨めな人々、魂と体においてすべてにおいて飢え乾いている人々よ。これらの不幸な子どもたちは私を、その病気のすべての原因として見ているようだ。
彼らの沈黙は、私の無益な行動を非難する。他の人々をも憐れむべき時に、助けの手を差し伸べるのを遅らせてしまった。
もう遅らせることはしまい。神の恵みによって、私は私の勤めを、最大限に行おう。」
彼は、困難の中にある人々の”霊的な幸福”を最優先に置き、いっそう努力しました。
“Do not prefer a late death to a holy one.”
たくさんのミラノの司祭たちは、この病気にかかってしまうことを恐れて隠れていました。枢機卿である聖チャールズの家族たちでさえ、たくさんの人が逃げました。
何人か逃げずに留まる人たちもいましたが、聖チャールズがすでに病気にかかった家々に立ち入るのを見て、その活動を共にすることを拒みました。しかし聖チャールズは、そういった活動を共にしない司祭たちにとても美しい嘆願書を書き送りました:
「人生は一度しかない、その人生を私たちはイエス・キリストと人々の魂のために費やすべきだ、それは私たちの願いではなく、その時である、ということと、神の御心の道だからだ。
(人々を助ける活動を躊躇する姿勢は)私たちの義務に対して、失礼にも放置している態度を表し、そして神の僕(しもべ)としての働きに失敗してしまうことだ。」
聖チャールズは、彼の司祭たちにこう厳しく伝えました、
「聖なるものとされるよりも、死を遅めるほうを好む、と言った考えで、司祭職をなおざりにしないでいただきたい。」
この言葉に答えるように、たくさんの世俗的な司祭たちや、カプチン会の司祭たちは、英雄的に、病の人々、特に、緊急病棟を倍にしたようなハンセン病の家で働き、人々に仕えたのでした。
この疫病が徐々に収まった後、聖チャールズの仲間として働いた人中で、お一人が亡くなりましたが、この市に留まり、しかしこの働きを拒んだたくさんの司祭たちが疫病に襲われました。
(つづく)