遅くなってしまいましたが。。10月に日本で行ったWSの中でお話したバイブルスタディーの内容をこちらに紹介しますね。私のデボーション本である「内なる刷新」第一巻/Kong Hee 著 からです。(注:文章は省略してあります)

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それで、イエスを見るために、前方へ走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。(ルカ19:4)


ザアカイは1世紀のエリコに生きていた堕落した*取税人でした。彼は、好奇心からイエスの話を聞きに出かけていったのです。しかし、彼は背が低かったので、イエスを見るためにいちじく桑の木に登らなければなりませんでした。ギリシャ語で「いちじく桑」とは偽いちじくの実を意味します。

通常いちじくの実は樹皮がやわらかく、みずみずしく、風味があるので高い値段で売られています。一方いちじく桑の実は、見た目はいちじくの実のようですが、樹皮が硬く、味も劣り、食用にするためには実を潰さなくてはなりません。しかし実に小さな穴を開け、新鮮な空気が入るようにすると、本物のいちじくのように実は熟し、やわらかく、甘くみずみずしい味わいになります。いちじく桑の実が熟するには、外部から手が加えられる必要があります。

ザアカイはイエスが町に来ることを聞いて、素晴らしい救い主を一目みたいと願いしました。心かたくなな罪人が、硬い実の間に、自分の身を潜めていたという非常に象徴的な場面です。

素晴らしいことにイエスは、ザアカイが登った木の下に来てこう言いました「ザアカイ。急いで降りてきなさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」(ルカ19:5)

イエスの口から出た言葉は、両刃の剣のように心かたくななザアカイの心を刺し通しました。聖書の息が吹き込まれ、すぐに彼の心は溶け、柔らかくなりました。その瞬間に、彼の心は無条件の愛と救い主を受け入れたのです。そしてイエスは、こう言われました「きょう、救いがこの家に来ました。」(ルカ19:9)

あなたの心は、冷たくかたくなになっていませんか?イエスをあなたの人生に招き入れましょう。イエスの御言葉があなたの心を刺し通し、聖霊の息吹があなたの内に入ってきますように。イエス・キリスト、御言葉、御霊によって、あなたは美しい人に変えられていくのです。

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<AKOからの付け加えた解説>

*取税人について:

この当時、イスラエルはローマ帝国の支配下にあり、ローマに税金を納めていました。しかしそれはユダヤの律法に反すること(神以外のものにお金を納めるということで)なので、取税人という仕事はユダヤの律法に反することとされていました。

人々がローマに直接お金を納めるのではなく、取税人(ユダヤ人)が人々から税を取りローマに収めていました。しかし人々からは取税人はローマの手先、売国奴と思われていました。なぜなら彼らはローマに税を納めるために働いていましたし、さらに同胞のユダヤ人からお金を搾取して、不当に利益を得ていたからです。→ローマに100万税金を納めるために、人々から200万の税金を取る、という感じです。取税人はイスラエルの民からは嫌われ、ユダヤ人の共同体の交わりからも追放されていました。

当時、取税人はユダヤ人の交わりから追放されていたので、取税人が交われるのは同業者の取税人か、同じ罪人の立場である娼婦しかいませんでした。そのように人々に忌み嫌われていた取税人ザアカイの家にイエス・キリストが訪れたわけです。ザアカイはそれはそれは喜んでイエスを招き入れ、自分に出来る精一杯のおもてなしをもってイエスやその弟子たちを迎え入れました。まわりにいる他のユダヤ人はもちろんその事を良くは思いません、衝撃的な事だったでしょう。しかしイエスは言われました「きょう、救いがこの家にきました。」

この箇所を読むと、この言葉が思い出されます。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マタイ9:12-13)・・・マタイもまた取税人の一人でした。彼もまた喜んで大きなパーティーを開いてイエスを招いた一人です。その中でイエスが言った言葉がこの言葉なんですね。

ザアカイもマタイも、最初はイエスが彼らの名前を呼んで(もちろん初対面ですから、イエスが自分の名前を知っていることに彼らは驚きました)声をかけています。同じように私たち一人一人もイエスから名前を呼ばれて招かれている人たちばかりだと思います。その招きに応え、イエスを自分の心に招き、ともに救いを祝うパーティーがみなさんの中で開かれることを心から望みます。

またこのように、イエスの言葉、聖書の言葉はかたくなな心を柔らかくし、人を生かす力があります!その言葉を預かっているクワイヤの役割とはなんと大きな、光栄なことでしょう!と思わざるを得ません。。ぜひそのような言葉を歌っているのがゴスペルであることを、お一人お一人噛みしめてみてください。。