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創造論と科学〜ヒュー・ロス博士

最近、私ではなく旦那さんが夢中になっているYouTubeの動画があります。

天文学者、ヒュー・ロス博士の講演の動画です。

その内容は表題の通り、創造論、地球がどのように誕生したかを科学的に検証した結果、聖書の記述が全て真実であることを、最新の科学によって実証できる、またその行程さえも正しい順序(全てがその順番でなければならない、というものだそうです)で詳細に書き記されている、という結論に至って、クリスチャンになった、という経歴をお持ちです。

(博士の証しは、こちらから日本語で読めます→ヒュー・ロスの証し

私には・・英語が難しすぎて、全て理解するには何十回って見て、さらにわかりやすく解説してもらわないと無理そうですが・・ご興味のある方は一見の価値有りです。

ホームページ:Reason To Believe

どうやら天地創造の行程は、創世記だけでなく、ヨブ記、詩篇などにもその詳細が書かれてあるそうです。実際にこれらの書物を書いたモーセ、ダビデはもちろん科学的な知識は何もなかったでしょう、しかし最新の科学を知っている学者からすると、科学的に見てちゃんと理解できるような書き方になっている、ということですから、やはりそのアイデアを与えたのは何か別の存在、全ての創造者で、全てをデザインしたであるに違いない、と言うんです。科学者が聖書を読むと、こんなにも聖書の読み方や視点が違うのね〜と思わされました。

聖書の記述に最新の科学がやっと追い付いてきた、という事なんでしょうね〜。

このように全ての知識を持って信仰を持つに至った博士、どれだけ信仰が強い、パーフェクトな方なんでしょうか、と思ったんですが、他の講演でこのような話がありました。

博士は科学の分野ではご自分の能力を発揮できるが、反対に人とのコミュニケーション、特に相手の表情やボディー・ランゲージから相手の気持ちを汲み取る事が苦手、なのだそうです。博士曰く、一人ひとりは神によってデザインされた存在であり、それぞれがその人にしかない能力があり、同様に一人ひとりがそれぞれディスアビリティ(能力欠如)を持っているのだ、と。。そのディスアビリティがあるから、人に頼ることができるんだ、と言ってました。その通りだと思いましたね〜。ディスアビリティ、あって当たり前、あって良いんです!!感謝ですね〜( ;∀;)

Purgatoryって?・・その2

前回でも解説したPurgatory(パーガトーリと読みます)ですが、気になるところがあって・・・いろいろあれから調べました。

マガジンではこう解説してありました:

For those who die repentant, but have not made up for their sins or purified their hearts, the church believes in a state of purification after death called purgatory.

人が悔い改めて死んでも、その人の罪を精算してない、またはその心がまだ浄められていない場合、人が死んだ後、その魂が浄められるための段階があると信じていて、その場所を教会はPurgatoryと呼んでいる。

ってことは・・・”悔い改めた”人が入るところがPurgatoryで・・・

とすると、クリスチャンのみ対象なのかな?それともそうでないのかな?と思ったわけです。

この文章によると特に指定はないものの、私が今までいろいろと教会で学んできたことを土台とするならば、なんとなく「キリストの説く悔い改め」をした人=クリスチャン?って考えちゃう。

ということで早速、今行っているカトリックのクラスの先生に聞いてみました。

答えはなんと・・・クリスチャンに限らない!だそうです。  Σ(゚Д゚;)エーーー!?

人はこの世での生涯を終えると、誰でも(Anybody!!)、イエス・キリストによる裁きを受けます。それはあくまでも個人的な裁きで、その場に他の誰も入ることはできません。そこでその人が自分の罪について悔いている、もしくは悲しく思っている(repentantですね)ならば、誰でもPurgatoryに行く、というわけです。

そこでその人の罪、傷、怒り、ナーバスなど、神様からのものでない不純物が取り除かれ、晴れて天国へ入り、神様と完全に一体となることができ(聖書には、キリストが花婿で私たちはキリストの花嫁という表現がたくさん出てきます)、そこで永遠を過ごすことができる、という事ですね。

そして、よくカトリックで教えられるのが、「人は、その人が与えられた”光”に応じて裁かれる」ということです、キリストを知っている人はそれなりに、知らない人もそれなりに、です。イエスはその人の生涯も全て、心の中まで全部ご存知ですから、その上で裁きが行われるわけですね。となると、光がたくさん与えられている聖職者などは余計に裁きが厳しくなりますし、光があまり与えられていない人はそれなりに・・、という感じ。

もしその人がそういった浄められるべきところが一つもなければPurgatoryは行かず、すぐに天国へ入りますが、それはそんなには多くないでしょう。

ちなみに、カトリックで「聖人」とされた人、とは、天国にいることが公式に認可(Canonization, 列聖と呼ばれます)された人のことです。意味としては「神の永遠の友」という意味で、天国へ入ったことがいろいろな厳しい審査を経て実証された人だけが聖人(Saint)とされます。聖書に出てくる12使徒もみんな St. ◯◯と呼ばれますし、私達にもなじみのあるマザー・テレサさんや前教皇のJohn Paul llさん、古いところだとジャンヌ・ダルクとかもSaintとされています、日本ですと1597年長崎のキリシタン弾圧で処刑されたキリスト教徒、日本二十六聖人などがいます。

しかし普通、公式に聖人とされるまで、かなりの時間がかかるそうです。例えば、誰かがある病気の癒しのために、すでに天に召された人(例えば有名な神父とか)に”とりなし”のための祈りを祈ったとします、そしてその病気が奇跡的に癒された、となると、そのとりなしの祈りが本物であった、天に召された人は今天国にいて神に確実にとりなしてくれた、とされるわけですね。そういった事をさらに実証するためにさまざまな厳しい審査がされるんだそうです。

以下、Wikipediaより抜粋:本人の死後に長い時間をかけて行われ、早くても死後数十年、場合によっては死後数百年にも及ぶ厳しい審査を経てようやく認められる(例:ジャンヌ・ダルクが聖人として認められたのは本人の死から489年後であった)。

話がちょっとそれましたが、なにしろPurgatoryとは誰でも入れるところだそうです。入れないのは・・死後の裁きで、その人が自分の罪について悔い改めていない、神の赦しを拒絶、もしくは神様自体を拒絶してしまった人で、そういう人は地獄へ・・・ということになります。しかしおもしろいことに、カトリック教会では、地獄に行ったとされている人は未だ一人も認めてられていないんだそうですよ。

それぐらいキリストの支払ってくださったPassion(贖いのためになされたキリストの受難)の代価は無限だ、ということですよね!

そうなると、例えば一生涯のうちキリストの福音を一度も聞くことが出来ずに終えた人、もしくは、(今こちらでは大きな議論になってますが)堕胎や死産などでこの世に誕生することが出来なかった赤ちゃんたちなど、キリストの福音を聞くチャンスもなく死んでしまった人たちがたくさんいるわけで、そういう魂のためにもこの教えのほうが断然フェアであると言えますよね。

神様は愛であるお方で、一人としてその魂が滅びることを望んでおられません!アーメン

・・・とはいえ、プロテスタントの教えと真っ向から対立するような気もしますが・・・カトリックの教えの一つとしてぜひ皆さんにお伝えしたいと思ってブログに載せました。少なくとも私にとっては肩の荷が下りるような、神様の愛をもっと広く深く感じることができた教えでした。感謝!

※また、まだまだ勉強不足で、もしかして私の表現方法に不完全な部分があるかも知れませんので、どうかご了承くださいね(^^;)

Purgatoryって?

引き続き、がんばってCatholicのinquiere sessionに通うべく、出された課題をやっておるんですが、(これが結構本格的で、本当に英語学校に舞い戻った感じ!久々に頭使い過ぎで頭痛がします・・)

前回のブログでも書いた通り、session第1週目に出されたマガジンに関する学びが続いてるんですが、今回の課題はマガジンを読んで自分でピックアップしたtopicをさらに掘り下げる、というもの。

内容はこんな感じ。

Look up three items on the St. Anthony Messenger Web site. Make notes:
a) what was the topic
b) what did you find
c) your reaction (satisifed, not  satisfied, enough for now, want to know more…)

 

私の中で1番に浮かび上がったのが、表題の「Purgatory」でした。日本語では「煉獄」、と呼ばれるらしいです。日本語だと響きがちと恐いですね(^^;)。。聖書には出てこない言葉なのですが、Catholicでは大切な教えとして教えられているようです。

マガジンではこう書かれてあるんです;

For those who die repentant, but have not made up for their sins or purified their hearts, the church believes in a state of purification after death called purgatory (from a word meaning “purify”)

人が悔い改めて死んでも、その人の罪を精算してない、またはその心がまだ浄められていない場合、人が死んだ後、その魂が浄められるための段階があると信じていて、その場所を教会はPurgatoryと呼んでいる。(”Purify”:浄化する、不純物を取り除く、の言葉から来ている)

と言った感じかな。。

でも、今までの教会の教え(私はずっとプロテスタント教会育ち)だと、イエス様の救いの御業は完璧で、イエスを信じれば誰でも死後は天国へ行ける、というのが通説。それにプラス、ある先生の教えでは、救いには3段階:義認→聖化→栄化 がある、とか。。もしかしたらこの教えにはちょっと通じているのかも知れませんが、やっぱりかなり複雑で私には難しいわ。。何れにしてもPurgatoryの存在は特に気になってたので、今回の課題でも第一番に選びました。

St. Anthony Messenger Websiteにはたくさんの記事が載ってて、その中から自分の選んだトピックに関しての記事を探す、ってのがちょっと大変だったけど、探してみると興味深い記事がたくさんありましたので、ここでシェアしたいと思います。(私が勝手にいろいろな記事から抜粋したものです)

※日本語訳はほんとに、ざざっと作りましたので、足りなかったり不完全だったりですので、あしからず!

they say that if you accept Jesus’ saving death, then all your sins are covered over like white snow covers up garbage. (This was Martin Luther’s image.) With this, you simply go directly to heaven. And for some Christians, the belief is that once you are saved, you can’t lose salvation—no matter what you do. According to these beliefs, there is no middle ground and no reason for purgatory.

人々はこう言っている:人がイエスは死から救ってくれると信じるならば、その人の全ての罪は覆われる、それはゴミの山を白い雪が覆うように(これはマルティン・ルターのイメージ)。この教えでは人はシンプルに、ダイレクトに天国行き。そしてあるクリスチャンは、人が何をしようとも、一度イエスを信じたらその救いは二度と失われることはない、と信じている。この教えまたは信仰によれば、この世と天国の間=Purgatory(煉獄)の存在はあり得ない。(注:私はクリスチャンになってからずーっとこの立場でした)

Catholic faith insists that middle ground (purgatory) is essential, because as free human beings (wounded as we are) we are still responsible for our sins and, with God’s help, can do something.We must understand what sin really means, and this can be accomplished only after death. It is not that Jesus’ death is not sufficient. It is; he did it for us.

カトリック信仰では、この世と天国の間(Purgatory)はとても重要なこととされている。人が自由意志がある存在として(傷を負うものとして)、私たちは自分の罪に対して未だ責任を追わなければならない、そして神様の助けによって、私達もその罪に対して何かできる。私たちは”罪”の意味をもっとしっかりと理解しないといけない、そしてそれはきっと死後に達成されるもの。それは決して、イエスの死が不完全だった、という事ではないし、イエスは私達のために確かにそれを達成して下さった。

Now imagine seeing God face-to-face and fully realizing his infinite love for us. Then we grasp the suffering and sacrifice Jesus experienced for us. We see clearly all the love and grace God offered. We look and it seems to be the size of the Pacific Ocean. We ask, “Lord, how much of your love and grace did we appreciate and respond to?” And God gives us a teaspoon and says, “This much!”

今、想像してみてほしい、自分が神様と顔と顔を合わせて会う場面を。神が持つ、私達のための無限大の愛にあらためて気づき、はっきりとその愛を知ることができた、そしてその次にはイエスの通った大きな苦難と計り知れない犠牲を体験して下さったことをあらためて悟ることができた、と。。そうしたら私達たちは神様の愛と恵みをもっとクリアーに見ることができる、それはきっと太平洋の海のサイズほどでだろう。そして私たちは神様に聞いてみる「主よ、私たちはいったいどれぐらい、あなたが与えて下さったこの大いなる愛と恵みに対して感謝し応答したでしょうか?」神様はティースプーンを差し出して言うだろう、「これぐらい!」

——-

最後の例え話は、いろんな意味でPurgatoryの理解をすごく助けてくれたので載せました。私が死後、天国で神様と会った時、私の場合はティースプーンではなくて、”耳かき” 差し出されたりして・・(耳かきはアメリカにないからこっちでは通じないけど)。でもそれぐらい、きっと、私達の罪の性質は神様の愛と恵みを理解することに大きくリミットをかけているんだと思いました、例えイエスを信じて救われた、とされていても。そして未だ罪を犯すし、人をねたんだり悪く思ったり、自分を許せない、とか、不信仰とか、自己中心的な考えは一生消えないだろうし・・その状態で、天国へ行ってインスタントに、しかも完全に神様と一体となるのは・・あり得ないよね。だからやっぱりPurgatoryの存在はあって当然だと思います。

と言うか、しょせん、自分の力じゃ”完全な者”とは一生なれませんから、Purgatoryがあって逆に良かった!と思いました。

イエス様はおっしゃいました:

「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(マタイ5:48)

What it means to be Catholic

catholic study book

思うところあって、いつも行っている教会、St. Paul the Apostle Churchで9月から始まったカトリックの教えを学ぶその前段階、inquiere sessionに参加することにした。いわゆる”カトリック信者”になる勉強会に入る前に、大まかにカトリック教会の事を学び、グループでディスカッションしながら、個人個人がどうするか選択するのを助けるためのセッション、って感じかな。。毎日曜日で全部で6週間のプログラムなんだけど、これが結構ボリューム感たっぷり!私はただみんなでディスカッションするだけだと思ってたんだけど、ホームワーク的な課題がちゃんと出されて、しかも全部英語だから、私にはちょっとハードルが・・・始まってみると結構大変☆(o_o;)☆(英語学校に通っていた頃を思い出します〜)

でもいい機会なので、とりあえず6週間頑張ってみようと思う。

昨日で2回目が終わったんだけど、先週の宿題は2つ、そのうちの一つが「What it means to be Catholic」という、いわば初心者向けのカトリック教会の解説マガジン(上の写真)みたいなのをひと通り目を通し、4つの項目、This is new, This is different, This is I like, This is I don’t like と思ったものを専用の用紙にリストアップする、というものだった。これが結構やってみるとおもしろくて、自分の頭の中を整理するのにすごく役立ったと思う。と言っても1週間あってもまだチャプター4までしか読めてないんだけど(^^;)、すでに項目は、特に最初の2つはたくさんあがりました。マガジンからだけでなくて、今までの経験(特にミサの中で)からも新しい、今までと違う、というところがたくさんあって、それも入れちゃった。

興味深い内容だと思うので、このブログでシェアしたいと思います。

(4つ全部だと大変だから、ひとつだけにします。。)

This is new >>

  • ミサは1時間で終わること(今までは普通1時間半から長いと3時間以上の時も!)
  • Pope=教皇, Saints=聖人の存在
  • Station of the Cross(これはカトリック教会の会堂に行くと必ずある、キリストの十字架を順を追って14の場面を絵画や彫刻などで描いているもの。たいがい会堂内の左右の柱や壁に設置されてある)
  • ミサの中で何度か跪く場面があること
  • 祈りの中で黙想することをフォーカスする祈り方、ロザリーやChaplet of divine mercyなど
  • ミサで感じたのは、全てを通して聖書の言葉やキリストに、よりフォーカスが当てられている、神父(あるいは牧師)やメッセンジャーではない
  • ほとんどのカトリック信者は幼児洗礼を受けている
  • Holy Water
  • Godparents(これは幼児洗礼を受ける時に、幼児の両親の他に二人のカトリック信者(男女)が必要なんだそうです。日本語ではなんていうのかな。。)
  • Sign of the cross(右手で額から胸、左肩あたりから右肩に十字を切る動作)
  • Purgatoryの存在(これも日本語でなんていうのかわからない。。天国の一部で、天に上げられた魂が、天国に入る前に留まり、天国に入る準備をする、というような場所)
  • カトリック教会はユダヤ教にそのルーツがある、と明言されている、でもほとんどのプロテスタント教会はそれがない
  • マルティン・ルター:宗教改革を起こした、とされている有名な人物、は新約聖書からユダ、ヘブル人への手紙、ヤコブの手紙、黙示録を排除したんだそうです(これはマガジンに載っていて初めて知った)
  • カトリック教会はイエスの時代にまでさかのぼり、イエスの使徒ペテロが最初のPope=教皇として始まった、いわばオリジナルの教会。そのような教会につながったのは私にとっては初めてのこと

などなどと、まぁ・・・すごいですな。。Differentの項目も同じぐらいありまして。一応クリスチャン歴丸17年の私が、すでにこれだけの新しいことに遭遇したのは結構エキサイティングなことです。カトリックは歴史が長い分、2000年以上もの間受け継がれてきた伝統=Traditionがすごい。プロテスタント教会と信仰は一緒、と思っていても、やはり性格が違う、というか、重みが違う、と正直感じてしまう。

まだまだ始まったばかりのこのセッション。とりあえず6週間、神様の助けを仰ぎつつ、最後までがんばりまーす。

ロザリオの祈り〜その1

My Rosary beads

これが、いただいたオリジナルのロザリオビーズ

 

私がカソリック教会に通うようになってからたくさん、新しいことを学ばせていただいて、シェアしたいことがたーくさんあるんですが!その中でもぜひ紹介したいのが「ロザリオ」の祈りです。

前回、日本に帰った時に、Ako’s Familyメンバーの一人、Dさんからとても美しいロザリオビーズをいただいて(しかもロザリオ作家さんが作って下さったオリジナル!!)、日々、そのビーズを使って祈っていると、得も言われぬ平安な気持ちになれるんです。。素敵な祈りですよ!

ウェブサイトでもいろいろ祈り方が紹介されていますが、ここでも私なりにまとめておきたいと思います。慣れてくると簡単なんですが、説明するとなるとちょっと複雑☆なので、少しずつ回数を分けて、ロザリオシリーズを作って行きたいと思います。この祈りを通してたくさんの祝福が訪れますように!(^O^)♫

まず、そもそも”ロザリオ”とはバラの花を集めて輪になるように並べたもの、バラの冠の象徴だそうです。ビーズの一つ一つがバラの花の代わりで、それを祈りの道具として用いてるんですね。昔、名誉のしるしにバラの冠を授けるという習慣があり、その冠をマリアに捧げる、というのが発祥らしいですよ。

→そうっか・・・だから私のロザリオのビーズはバラの花になってるし、バラの花もついてた!さすが!!(はい、今知りました。。)

曜日ごとに割り当てられたミステリー(日本語で神秘)を思い描きながら祈っていくのですが、それはマリアの受胎告知に始まってイエスの誕生、洗礼、聖餐式、十字架の死と復活、初代教会の誕生まで、ゴスペルのエッセンスが全て網羅できる形になってるので、日々、聖書の福音が新たに心に刻まれていく感じがします。

————

今回はまず、具体的に、どのように祈るかを順を追ってご紹介。

(ちなみに、私は英語のパターンで習って、いつも英語で祈っているのですが、日本語だと最後のみ、少し祈りが違うみたいですので、あしからず。。)

ロザリオは輪っかの部分と、そこから1本出ている部分があり、その先に十字架のイエス像があります。このイエス像から始まって、この輪っかに入ったら、その右側に入っていきます。

ビーズは祈りの回数を数えるためのものです、一つの祈りを終えるたびに次のビーズへ、と進めていきます。

この画像(勝手に拝借、すみません!!)にそって説明しますと、

1. SIGN OF THE CROSS

まず、右手の指先で自分の額から胸、左胸から右胸と軽くタッチして十字を切り、

「父、子、聖霊の御名によって アーメン」

2. CRUCIFIX/十字架のイエス像:信仰宣言を唱える

(プロテスタントでは使徒信条と言いますね)

「天地の創造主、全能の神である父を信じます。父のひとり子、おとめマリアから生まれ、苦しみを受けて葬られ、死者のうちから復活して、父の右におられる主イエス・キリストを信じます。聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠の命を信じます。アーメン」

3. FIRST BEAD/最初のビーズ(大きめのビーズ):主の祈り

「天におられる私たちの父よ、み名が聖とされますように。み国がきますように。御心が天に行われるとおり 地にも行われますように。私たちの日ごとの糧を今日もお与えください。私たちの罪をお赦しください。私たちも人を赦します。私たちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン」

4. 3 BEADS/3つのビーズ:聖母マリアへの祈り(小さめのビーズ)

次のビーズ1つごとに1回ずつ、計3回。

「恵みあふれる聖マリア 主はあなたとともにおられます。 主はあなたを選び祝福し、あなたの子イエズスも祝福されました。神の母聖マリア罪深い私たちのために 今も死を迎える時も祈ってください。アーメン」

5. GLORY BE/次の大きなビーズ:栄唱、ファチマの祈り

栄唱:「栄光は父と子と聖霊に。初めのように今もいつも世々に。アーメン」

ファチマ:「ああ、イエズスよ、われらの罪を赦し給え。われらを地獄の火より守り給え。 また、すべての霊魂、ことに主の御あわれみをもっとも必要とする霊魂を天国に導き給え。アーメン。」

※ファチマの祈りは難しい日本語バージョンしか見つからず・・でした。

6. FIVE DECADES/1~5玄義までを続けて祈ってロザリオを1周

小さいビーズが10個で1decade(=1玄義)と呼ばれます、それが5つあります。各1decadeで1つのミステリー(日本語で神秘)がそれぞれ割り当てられます。曜日によってその日のミステリーを思い描きながら第1〜第5ミステリーまで祈り進めていきます。

※ミステリーについては、回を改めて解説しますね、さらに長くなっちゃうので。。

“主の祈り”で始まり(大きなビーズ、5のGlory beの位置からスタート)→聖母マリアへの祈り(英語だとHail Maryで始まるのでHail Marysと呼ばれます)を10回(小さいビーズでカウント)→大きなビーズに突き当たったら、5.のGlory be=栄唱+ファチマの祈り、これで1セットで、5回繰り返すとロザリオ一周になります。

{主の祈り ×1 →聖母マリアへの祈り ×10 →栄唱+ファチマ ×1}×5

7. Hail Holy Queen〜Memorareまで

上の画像では載ってないですが、第5ミステリーまで終わったら、締めくくりの祈りが続きます。

Hail Holy Queen

締めくくりの最初が、英語だとHail Holy Queen、日本語ですと「聖会のための祈り」と呼ばれるらしいです。意味から察すると、日本語ではこの祈りになります。

元吾あわれみの母(サルベ・レジーナSalve Regina)

「元吾、あわれみの母、われらのいのち、喜び、希望。旅路からあなたに叫ぶエバの子、嘆きながら、泣きながらも、涙の谷にあなたを慕う。われらのためにとりなす方、あわれみの目をわれらに注ぎ、尊いあなたの子イエスを、旅路の果てに示してください。おお、いつくしみ、恵みあふれる、喜びのおとめマリア。アーメン。」

同じ祈りですが、難しい日本語バージョンだと・・

我らの命、慰め、及び望みなるマリア、我ら逐謫(ちくたく)の身なるエワの子なれば、御身にむかいて呼ばわり、この涙の谷に泣き叫びてひたすら仰ぎ望み奉る。ああ我らの代願者よ、憐れみの御眼もて我らを顧み給え、又この逐謫の終わらんのち、尊き御子イエズスを、我らに示し給え。寛容、仁慈、甘美に在ます童貞マリア。天主の聖母、我らのために祈り給え。キリストの御約束に我らを適わしめ給え。

※英語の祈りでは、このバージョンの最後の2行も入っているので、こちらも載せました

※「逐謫」とはエデンの園を放逐され、今放浪している、という意味、だそうです

(注:最初は大変なので、この時点で終わりにしてもいいそうです!)

↓↓

・次の祈りは日本語と英語とではちょっと違うみたいなので、日本語の祈り方の解説にしたがって記しておくと、このような祈りが続きます。

「我らの依り頼みと力とにまします天主、御憐れみを垂れ、主に叫ぶこの民を顧み給え。永福にして原罪なき童貞、天主の聖母マリア、その浄配聖ヨゼフ、使徒聖ペトロ、聖パウロおよび諸聖人のとりなしにより、罪人の改心、及び母なる公教会の自由と栄えとの為に捧げまつる我らの祈りを御慈悲をもって聴き入れ給え。我らの主イエズス・キリストによりて願い奉る。アーメン」

ちなみに英語は、このような祈り:

O God, Whose only-begotten Son, by His life, death and resurrection, has purchased for us the rewards of eternal salvation; grant, we beseech Thee, that meditating upon these mysteries in the most holy Rosary of the Blessed Virgin Mary, we may imitate what they contain, and obtain what they promise, through the same Christ our Lord. Amen.

↓↓

続いて・・・

主の祈り

聖母マリアへの祈りを1回

栄唱を1回

Memorare/聖母の御保護を求むる祈り(聖ベルナルド)

「おとめマリアよ、あなたの御保護のもとかけによりあなたの助けの祈りを求め、あなたの御保護を願った人が、あなたから見離されたということは誰も聞いたためしがなかったことを想起してください。母であり、おとめの中のおとめであるマリアよ、それゆえ、わたしはあなたの信頼に勇気づけられ、みもとにかけより、罪を悔い改めつつ、わたし自身をあなたにゆだねます。み母よ、わたしのこの祈りを受け入れ、この願いを聞き入れてください。アーメン。」

8. SIGN OF THE CROSS

最後に、右手で十字を切りながら「父、子、聖霊の御名によって、アーメン」で終了!

———–

お疲れ様でした!ミステリーについては、回を改めて解説しまーす。

追記:ちなみに、ご自分の個人的な祈りも一緒に祈りたい場合、ロザリオを始める前でも終わった後でも、自分の祈りをぜひ入れてください。ロザリオの祈りはパワフルなので、個人的な祈りもきっと大いに神様が祝福してくださると思います。 🙂

ロザリオビーズもおしゃれなのがたくさん出てますので、ご自分のお好みのものを探してみてください。そして、新しいロザリオを手に入れたらまず、神父さんに祝福してもらってから使用するのが通常らしいです(私も祝福してもらってから使ってます)。

<この記事のための参考にしたページはこちら>

(ロザリオとは)
http://gracemmmaria.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-3e19.html

(ロザリオの祈り方)
http://hosanna.romaaeterna.jp/prayer/rosary/rosary1.html(ちょっと祈りの言葉の日本語が難しいです)
http://pweb.sophia.ac.jp/j-puthen/page026.html(日本語はこちらのほうがやさしいです)

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