続いてpart 2に入ります。


 

Part 2 : Story telling

Liturgy of the Word: 言葉の典礼

私達が友人宅で食事のために集まるとき、必ず会話から始まりますよね、自分たちのストーリーを話したり。同じようにミサでも、Gathering rites、集まりの儀式の後、会衆は席に座り、聖書から神の言葉が読まれるのを聞きます。それは神の民のストーリーです。

Three readings and psalm: 3つの聖書朗読と詩篇

日曜ミサでは3箇所の聖書朗読が行われます、1番目はヘブル語で書かれた聖書から(=旧約聖書)。それは神と人類が最初に交わしたオリジナルの神様との契約(旧約)を思い起こすためです。それはその箇所からつながっているゴスペル(新約)や、イエスの行い、それを説明するバックグラウンドや洞察、認識を伺うことのできる内容でもあります。

その後、会衆で詩篇の箇所を唱えます。それは神様自身にインスパイアされた賛美、とも言えます。

→大抵リードする人と会衆とのコール&レスポンスの形で行われ、唱える形もあれば歌う形で行う時もあります。

そして第2の朗読箇所は大抵、パウロの手紙か、他の使徒からの手紙の箇所から読まれます。

第3の箇所は、4つのうちの一つの福音書からの箇所になります。

ミサは初めてという方は、カトリック教会で聖書が読まれてる!と驚く方もいるんじゃないでしょうか。カトリック信者は一般的に聖書を読まないことで知られてるので・・・でも、このようにミサは基本的に、基礎的に、きわめて聖書的なものなのです。カトリック信者でさえも、どれだけミサの内容が聖書から来ているかを知って驚くかもしれません。聖書からの言葉は3つの聖書朗読と詩篇、だけではありません、ミサの中でなされる聖書的な祈り、”Holy, Holy, Holy…”や、”主の祈り”も聖書からですし、祈りの言葉のほとんどが聖書の言葉から引用されているのです。

Standing for the Gospel:福音のために起立する

福音が宣言される、その中に独特なキリストの臨在がある、ということから、福音書からの言葉が読まれる時には人々はもっと意識を集中させるために起立する、という習慣が長く続いています。私達は、キリストは彼の言葉の中に存在している、と信じていて、それはイエスが会堂で読み上げられた御言葉に、これは自分自身である、と宣言したことによります。

聖書朗読は全て祭壇ではなく祭壇横にある小さなテーブル?で行われます。 特に福音が読まれるとき、このようにAlter Boy(女の子の時もしばしば)がキャンドルを持って両端に立つこともあります。

 

司祭は再び「The Lord be with you」と挨拶し、福音書の朗読箇所を紹介した後、親指で小さなクロスを自身のおでこに、そして唇に、そして心臓の上にしるします、それは神に彼自身の思いと心をクリーンにし、唇が福音を宣言するに相応しくなるように、という無言の祈りの意味で行われる儀式です。殆どの場合、会衆も司祭と一緒にこの小さなクロスをしるします。

福音書からの朗読が終わると、形式的なやりとりがあります、

司祭:This is the gospel of the Lord,
会衆:Praise to you, Lord Jesus Christ

再び言いますが、キリストは御言葉の中に存在するという、私達の信仰からくる宣言です。その後、座って司祭からの話し、homily=法話、を聞きます。

Homily:法話

Homilyという言葉(sermon=説教という言葉と入れ替わって使われています)、実はカトリック教会では新しい言葉です。この言葉は一般的なsermonや、どのように神の言葉に生きるか、とか、私達は何を信じるのかを話す・・それ以上のことを意味しています。

それは礼拝する全ての行いがミサの中のテキストにもとづいている、特に先に読まれた、もしくは宣言された聖書の御言葉にもとづいている(rooted)、という意味です。Homilyはその御言葉を、私達の人生の中に、今ある置かれた環境の中にもらたします。それはまさに、大きなパンが割かれ、その一つ一つが一人ひとりに分け与えられるように、神の言葉も砕かれ、オープンになるべきで、それによって私達も御言葉を受け止め、消化できるようになるんです。

Creed:信条

Homilyが終わった後、しばし静まる時がもたれます。Homilyを通してそれぞれが神に感謝する一時であったり、今語られたメッセージをそれぞれの状況や日々の暮らしに当てはめて考えてみる一時であったりします。

そしてまた立ち上がり、(司祭も会衆も)全員が声を揃えてthe Creed=使徒信条を唱えます。これは先にもあった the missalの中に書いてあります。

使徒信条は、その中でリストアップされた私達が信じるもの、以上の意味があります。それは、この前にあった聖書朗読やHomilyで語られた事に対する私達の信仰のステイトメント、声明であり、キリストが私達のためにその人生を捧げてくださったように、私達も人々、隣人のために人生を捧げられるように、という意味での信仰告白です。

もともとの使徒信条は、これから洗礼を控えている人が、その信仰告白のためになされるものでした。

General Intercessions: 全般的な執り成し

さて、このPart 2、story tellingも終わりに近づいてきました。ここで全般的な執り成しの祈りの時がもたれます。

例えば、あなたがこれから外食するという時、家を出る前に鏡をチェックして、ヘアスタイルはどうか、コートのボタンは正しくかけられているか・・その最後の2〜3分であながたイメージしている自分自身とマッチしているかどうか確認することでしょう。

この全般的な執り成しも、そんなことと同じ目的で行われます。

私達は洗礼によってキリストの御身体とされました。そして今、キリストの身体をいただく(Eucharist=聖体、聖餐) テーブルに向かう準備の段階なわけです。

私達は聖書朗読箇所から、自分を鏡でチェックするように自分自身に問いかけます、このキリストご自身が朗読箇所で示されたようなお姿が、私達、キリストの身体である私達にちゃんと反映されているであろうか?と。普通は・・残念ながら、NO!です。なので、私達にはやっぱりアジャストメント、修正が必要なわけです。そこで私達はこの会衆がキリストの身体に似て作られるように祈り、平安があるように、ホームレスにシェルターが与えられるように、病人が癒やされるように、飢えている人に食料が与えられるように・・と祈ります。

教会全体のために、今の世代の人々とそれぞれのリーダーのために、特に祈りの必要な方のために、それぞれの地方あるいは自身の会衆のための祈り、と、だいたい4つのカテゴリーから祈られます。一人リードする方が祈りを読み上げ、そのたびに会衆はその祈りに心を向けつつ心をこめて、一同でこのように応答します、“Lord, hear our prayer”.

{追記}

ちなみに聖書朗読箇所は全て、すでに“Lectionary”(日本語で聖書日課)というものでプログラムされていて、このLectionaryにそって読まれます。これは全世界のカトリック教会で共通のものです。なのでどこの教会に行っても同じ聖書の言葉、そして同じキリストの聖餐に与ることができるんです、素晴らしいですね!


(part 3につづく)