今日2月6日、キリスト教歴ではSt. Paul Miki and Companionsを記念する日です。

Miki…?もしや・・と思ったらやっぱり日本人でした。

私は今日のミサで初めて知りました。そしてミサで日本人の聖人について取り上げられたことを、きっと教会の中でたったひとりであっただろう日本人としてとても誇らしく思いました。

この機会にMikiさんについて調べてみました。・・私は最初、てっきり女性かと思ったんですが、三木さん、という男性の方でした・・σ(^_^;) ですよね〜、だってパウロさんですもんね。

日本二十六聖人

日本二十六聖人

パウロ三木_Wikipedia(日本語)

日本二十六聖人_ Wikipedia(日本語)

ST. PAUL MIKI AND COMPANIONS(英語)

wikipediaなどもろもろの記事によると・・・

パウロ三木さんは1564年、摂津(旧国名;今の大阪西部や兵庫東南部あたり)に、戦国武将の息子として生まれました。やがて父・半太夫がキリスト教の洗礼を受け、幼いパウロ三木も洗礼を受けました。やがてイエズス会に入会し宣教師として活躍します。

1596年12月、豊臣秀吉は禁教令を発布、翌1597年、秀吉は京都奉公の石田三成に、京都に住むフランシスコ会とキリスト教徒を捉えるよう命じ、その中にパウロ三木もいました。捉えられた彼らは左耳たぶを切り落とされ(秀吉の命令では耳と鼻を削ぐように言われていた!)京都を引き回された上、長崎で処刑と命じられ、一行は歩いて長崎へ向かいます。

捉えられた26人が普通の刑場ではなく西坂の丘の上で処刑が決まると、混乱を避けるため長崎市は外出禁止令を出しましたが、4000人を超える群衆が西坂に集まりました。26人は十字架に磔(はりつけ)にされ、その群衆を前にパウロ三木は叫びました。

「自分は罪状書きにあるようなフィリピン人でなく、れっきとした日本人である。私はキリスト教を信じたというだけで殺されるのである。この理由のゆえに私は命をささげることをいとわない。私はキリストの教えに従い、自分の処刑を命じた人(豊臣秀吉)と処刑にかかわったすべての人を許したい」

最後は両脇を槍で刺しぬかれての処刑だったということです。。

後の1627年(寛永4年)2月14日、教皇ウルバヌス8世によって列福され、1862年(文久2年)6月8日に教皇ピウス9世によって列聖され、聖人の列に加えられた(日本二十六聖人)、ということです。

こういった、信仰を最後まで貫いて殉教した人たちがいた、というだけでも・・なんというか・・日本人としてとても教えられるし、もっと知るべき、学ぶべきなのだな〜と思いました。彼らは刑場に向かう道すがら、賛美歌を歌っていた、ということですから、その姿はまるで処刑される人というよりも、天国へ向かう喜びにあふれた人たちであったんではないでしょうか。

1962年には長崎に日本二十六聖人記念館が建てられた、ということですから、ぜひ一度行ってみたいな〜と思っています。