今週の木曜日から金、土と3日間かけて、New Jersey にあるMt. Olive Baptist Churchで行われたGospel Workshopに参加してきました。

As Unstoppable Movement of Music Ministry

今日はその最終日のコンサートでした。はっきり言って、かなり疲れてたので午前中のWorkshopだけ出て帰ってこようかと思ってたんですが(本気で)、でも同じ参加者の何人もの方から、”Are you coming back tonight?”「夜も来るんでしょ??」と言われ、NOとは言えずに、本当に仕方なく!(すみません…)午後5時から始まるコンサートに参加してきました、が!!想像をはるかに超えた神様からの祝福と臨在に包まれた、すんばらしいコンサートになりました!!神様は本当にすごいです!!そのコンサートでは、実に、泣きに泣いてきました。。。その後味を噛みしめつつレポートを残したいと思います。

↑ 本日最終日、午前中のWS。私、到着までに2時間半かかってます。。

この3日間のWS、実に70%ぐらいはほとんどセミナー状態(話を聞く、だけ)、今のゴスペルのあり方そのものにチャレンジを投げ掛けるような内容だったと思います。もちろんその話のほとんどは英語が難しく、残念ながら理解できなかったですが(録音したので追々じっくりと聴きたいと思います)、それでもわかったのは、今のクワイヤのあり方、役割を人々はどう思っているのか?そもそも賛美はもちろん自分をみせびらかす道具ではないし、私たちが神様を”コントロール”するものではない、ただただ神様を感謝して礼拝するのが賛美である、神は賛美されるにふさわしいお方である、ただそれだけが大切なんだ!それを忘れちゃいけないんだ!という部分に焦点が置かれていたような気がします。

その方向性をもう一度見直そう、という流れから、African American がAmericanになる前、まだアフリカから送られてきて間がない時代のWorship、楽器なんかもちろんなかった頃の賛美、ブラックゴスペルというスタイルもまだ生まれていない時代にさかのぼって、歴史的にどのような発展を遂げてきたのか、奴隷という立場から彼らが抜け出せたそのエネルギーの源とはなんだったのか?そのころのWorshipで彼らはHymn(日本で言う讃美歌)を歌ってきたのではなかったか?聖書の言葉そのものを歌っているHymnをもう一度見直そう、みたいな、また新たな視点からゴスペルを解説してくださいました。そのセミナーを導いてくださったのはOuidaの先生でもある、Dr. Melva Costen さんでした(In Spirit and In Truthという本を土台に解説なさっていました、ご興味のある方はぜひどうぞ!)。とってもパワフルで、でも素敵なおばちゃまでした!

→本を使って、こちらも追々、じっくりと・・・がんばります。。

また、Total Praiseの作者であるRev. Richard Smallwoodさんも最終日の土曜日に来られ、朝から、これまたセミナーをたっぷり、そのあと休憩をはさんでMusic Rehearsalをちょっと!ぐらいの配分で賛美のあり方を教えてくださいました。

→そんなんで本番のコンサートで歌っちゃえるところがすごいです。。もちろん!Total Praiseも歌いましたよ!!(涙)

↑ ちょっと見にくいですが、生 Richard Smallwood先生。

私がその中で印象に残ったのは、「誰でも、何かを題材にエッセイを書いたことがあるだろう。例えば、車についてエッセイを書こうとすれば、その外見や形式だけではなく、中身を十分に調べた上で書くだろう、そうじゃないとその車のについて書けないから。それと同じように私たちが神を賛美する時に、ただ私たちの目線から見た神様ばかりを見ていては本当にはゴスペルは作れない。例えば証しはそれぞれ誰でも、それこそ素晴らしいストーリーを持っているはずだけれど。

(だれでも試練を通ることは必要で、一つは私たちが成長するため、もう一つはその証しを人々に知らせるためだ、と語られました)

でもそればかりをフューチャーしてしてしまったら、どこかでずれてくる。それよりも神様ご自身が掲示された言葉、聖書の言葉をしっかり勉強し、神様の事をもっともっと学ぶ姿勢が必要なんだ。それがクワイヤメンバーには必要不可欠なんだ!!」とおっしゃっておりました。確かに。。アーメンですね。。自分の目線からの理解では到底、神様の大きさ、豊かさ、深さは知ることができません、神ご自身から掲示された言葉が聖書、神様からのラブレターなのですから、そちらにもっと焦点を合わせないと本来の賛美からずれが生じてくるかも、そうじゃないと個人的な賛美に留まってしまう恐れがあるなーと思いました。

それと、一番私の心を掴んだのは・・賛美はもちろん悪の力に立ち向かうことのできる武器(weapon)にもなるけれど、それよりも神様の偉大さ、罪人の私のために命を投げ出して救ってくださったキリストの愛を思ったら賛美するしかない!小さなすずめの一羽さえも見ておられる主が私を救い、自由の身としてくださったんだから!という、もっとも根底の、もっともシンプルな土台の上に賛美をおくべき、それが本来の賛美なんだよな〜って思わされたことです。。ゴスペルシンガーとしては早13年経ってしまいましたが、13年経ってこの根底の部分にもう一度気付かされました。・・もう・・わんわん泣いてきました☆☆

私の場合、恥ずかしながら、賛美はどちらかというと・・ぶっちゃけ、「仕事」になってしまっていたんです。果たすべき役割、与えられた場で精一杯賛美する、それが賛美で、イコール日々を戦うための武器だったんです。ですから私にとって賛美=武器という要素が強かったと思います。自分では意識してなかったんですが、それでしかきっと続けることができなかったんだな、と。。で、このWSに来て、ミニストリーの第一線で活躍される方々が口をそろえて「神様は賛美するにふさわしいお方で、そのために賛美するんだ!」という、今まで何度も私も言ってきたような事が、実は私が一番履き違えてたんだ、って気付かされて、なんだか最初は苦しかったです。。

でも最後のコンサートでRev. Dr. Lester Tylor Jr. 先生から語られたメッセージの中で、

「あなたがここにいること自体が神様の手によるもので、あなたはここに来るべくして来ている。今あるあなたの状況も同じ。今そこに至るまでの道のりも全て主はご存知で、常に導いておられたのだ。

そして神様はその終わりをも支配しておられる。(He knows the end!! )この世界を造られる前から、その終わり=勝利を備えておられる方が、同じように私たちが行くべきゴール=勝利をすでに用意してくださっているんだ、だから苦しい時も悲しい時も賛美できるんだ!!」

と語ってくださいました。。(ああ・・号泣)

・・今回のブログは、かなり個人的な、一方的な内容になってしまいました。。ごめんなさい。。

でも本当に、途中であきらめずに最後まで参加して良かったWSでした!!全ての栄光が主にありますように!!

↑ コンサート直前です!