(前回からのつづき)
ただ神のあわれみのゆえに
1577年のクリスマスまでに、その疫病は徐々に和らいでいきました。
この疫病が終わった時、ミラノでは、人口12万人のうち、1万7千人の人が亡くなりました。その中には120人の司祭たち(そのうちのほとんどが逃げ去った人たち)も含まれます。
しかしながら、ミラノよりも小さな町、ベニスでは、実に4万人の人々がその同じ2年間で亡くなっています。
なぜミラノでそのような大きな数を免れることが出来たのでしょうか?聖チャールズはこう言います;
「それは、私たちの眠っていた用心深さのせいではありません、または、伝染病の原因、ましてや治療法も発見できなかった医者たちの科学でもありません、またはこの街を見放して逃げていった権力者たちによる世話がそうさせたのでもありません、違います、親愛なるみなさん、
ただただ、神のあわれみによるです。」
コロナウィルスに対するカトリック信者の対応
聖チャールズとは全く対照的に、ニューヨーク州知事のアンドリュー・クオモ氏(カトリックの洗礼を受けている)は最近の声明の中で、Covid-19に対する戦いにおいて、神をあざけり、また除外しました。
この中絶推進派の知事は、彼自身を祝しながら、会見の中でこのように言いました、
「感染者の数は減ってきている、なぜなら私たちがこの数を減らしたからだ。神がそうしたのではない。宿命や運命がそうしたのでもない。たくさんの痛みと苦難がそうしたのだ。」
▷New York Governor Andrew Cuomo: ‘God Did Not Stop Spread Of Virus’
信仰の危機は、もはや明らかです。今の時代、もっとも必要としている時に、ほとんどのカトリック信者は霊的な孤児状態です。ミサもない、告解もない、終油の秘跡(司祭が臨終の人の頭に油を塗って清め、救済を求めて祈る儀式)もありません。そして聖チャールズ・ボロメーオのような人もいません。
スプリングフィールドの司教とミサを例に取ると、彼の教区の中では全て、終油の秘跡は停止されています。人生最後、というひとときに、教会が与えられる霊的な援助と慰めが、臨終の人から奪われているのです。
ジョン・ホーヴァット氏が彼のコラムの中で書いています、「コロナウィルスは神に立ち返るための呼びかけだ」と。しかし私たちの反応は「神に背を向ける社会を映し出している。私たちが直面している危機とは、私達自身と、私たちの持つデバイス、機器のみ信頼していることだ」。
この世界が最も必要としているのは、さらなる聖チャールズ・ボロメーオ氏のような人、英雄的な牧者たちです。信仰を復興し、神の摂理に確信を持つことを促し、また私たちの母であり、そして無原罪のマリアの心への真実の献身に目覚めた牧者です。
聖チャールズ・ボロメーオ、私たちのために祈って下さい!
(終わり)