前回の記事で、人はだれでも最後に4つのこと(実際には3つ)、
死、審判(ジャッジメント)、天国、もしくは地獄
Death, Judgement, Heaven or Hell
が、全ての人に平等に与えられる、ということを見ました。
そして、その2つ目、ジャッジメントについて、
今回の記事で、聖書がどう言っているのか、というところから、
詳しく見ていきましょう。
最初のジャッジメント
ヘブル人への手紙9:27 にこのような言葉があります。
また、人間にはただ一度死ぬことと、
その後に裁きを受けることが定まっているように・・・
この裁き=ジャッジメントは、
私たちの知っている、この世の裁判所ではもちろんありません、
神によって裁かれる場所、です。
そこで、私やあなたが、just(法律用語的には正しい、という意味) なのか、
reprobate(神に見捨てられる)なのかが、ただちに判定されます。
そして、その裁判官は、イエス・キリスト御本人です。
イエスがこう言われたことからわかります、
わたしは道であり、真理であり、命である。
わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
(ヨハネの福音書14:6)
もしその人が justなら、そのまま天国へ、もしくは、
清められる、シミのない状態になる必要があれば(英語ですとpurificationと言いますが)、
purgatory=煉獄へ一時的に行く(→そこで清められた後に天国へ入れる)、
ということになります。
もしreprobate、であれば、その人は地獄へ行くことになります。
地獄、とは、苦しみが永遠に続く、神と断絶された世界です。
永遠の喜び、神とともに過ごす国の中に入るのか、
永遠の苦しみ、神との断絶の中に入るのか、が、
このジャッジメントで決定してしまいます!!
そして、この裁きは永遠、エターナルです。
この裁きにやり直しはありません。
なので、今生きている間に、
ジャッジメントの場に立つまでの間に、
天国か、地獄か、どちらかを選択する必要があります。
その選択によって、人生が変わっていくことでしょう。
これらは全て、まさに現実的なこと、なのです。
夢物語ではありません!
ここまでも大丈夫でしょうか?
最初のジャッジメント=個人的なもの
さらに、最初のジャッジメントは、前回の記事でもお伝えしたように、
その人が死を迎えた後、すぐに訪れます。
そこには、誰一人証人はいません、
裁判官であるイエス・キリストと、その人、だけのプライベートなものです。
使徒パウロはこのように伝えています、
それで、わたしたちは一人一人、
自分のことについて神に申し述べることになるのです。
(ローマ人への手紙14:12)
ですので、最初のジャッジメントを
プライベート・ジャッジメントと呼ぶことができるでしょう。
聖マリアのみ介在することができる
そして、元になっている記事には、このことは一切触れていないのですが、
私から個人的にシェアしたい事があります。
そのプライベート・ジャッジメントに、聖マリアの介在があった例もある!
ということです。
こちらの記事にまとめてあります→Fr. Steven Scheierのお話 #1
この神父はジャッジメントを受けた時に、マリアの執り成しによって、
reprobateの裁きから逃れられました。
このことから、そこに聖マリアの助けだけが入れる余地がある、
ということがわかります。
その助けはロザリオの祈り、または3度のアヴェ・マリアの祈りでも
約束されていることですので、ぜひ今のうちから祈って、
ジャッジメントの時に聖マリアの助けをいただきましょう!
・・・さて、ここまでで、最後の4つのことを全て網羅しましたが、
聖書では、実は、このジャッジメントが2回ある、
ということを教えています。
次回には、そのことについて見ていきましょう。
(つづく)