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ミケランジェロの「最後の審判」

 

前回の記事で、人はだれでも最後に4つのこと(実際には3つ)、

死、審判(ジャッジメント)、天国、もしくは地獄

Death, Judgement, Heaven or Hell

が、全ての人に平等に与えられる、ということを見ました。

 

そして、その2つ目、ジャッジメントについて、

今回の記事で、聖書がどう言っているのか、というところから、

詳しく見ていきましょう。

 

最初のジャッジメント

ヘブル人への手紙9:27 にこのような言葉があります。

また、人間にはただ一度死ぬことと、

その後に裁きを受けることが定まっているように・・・

 

この裁き=ジャッジメントは、

私たちの知っている、この世の裁判所ではもちろんありません、

神によって裁かれる場所、です。

 

そこで、私やあなたが、just(法律用語的には正しい、という意味) なのか、

reprobate(神に見捨てられる)なのかが、ただちに判定されます。

 

そして、その裁判官は、イエス・キリスト御本人です。

イエスがこう言われたことからわかります、

 

わたしは道であり、真理であり、命である。

わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない

(ヨハネの福音書14:6)

 

もしその人が justなら、そのまま天国へ、もしくは、

清められる、シミのない状態になる必要があれば(英語ですとpurificationと言いますが)、

purgatory=煉獄へ一時的に行く(→そこで清められた後に天国へ入れる)、

ということになります。

参考:Purgatory って?

 

もしreprobate、であれば、その人は地獄へ行くことになります。

地獄、とは、苦しみが永遠に続く、神と断絶された世界です。

 

永遠の喜び、神とともに過ごす国の中に入るのか、

永遠の苦しみ、神との断絶の中に入るのか、が、

このジャッジメントで決定してしまいます!!

 

そして、この裁きは永遠、エターナルです。

この裁きにやり直しはありません。

 

なので、今生きている間に、

ジャッジメントの場に立つまでの間に、

天国か、地獄か、どちらかを選択する必要があります。

その選択によって、人生が変わっていくことでしょう。

 

これらは全て、まさに現実的なこと、なのです。

夢物語ではありません!

 

ここまでも大丈夫でしょうか?

 

最初のジャッジメント=個人的なもの

さらに、最初のジャッジメントは、前回の記事でもお伝えしたように、

その人が死を迎えた後、すぐに訪れます。

そこには、誰一人証人はいません、

裁判官であるイエス・キリストと、その人、だけのプライベートなものです。

 

使徒パウロはこのように伝えています、

それで、わたしたちは一人一人、

自分のことについて神に申し述べることになるのです。

(ローマ人への手紙14:12)

 

ですので、最初のジャッジメントを

プライベート・ジャッジメントと呼ぶことができるでしょう。

 

 

聖マリアのみ介在することができる

そして、元になっている記事には、このことは一切触れていないのですが、

私から個人的にシェアしたい事があります。

 

そのプライベート・ジャッジメントに、聖マリアの介在があった例もある!

ということです。

こちらの記事にまとめてあります→Fr. Steven Scheierのお話 #1

 

この神父はジャッジメントを受けた時に、マリアの執り成しによって、

reprobateの裁きから逃れられました。

このことから、そこに聖マリアの助けだけが入れる余地がある

ということがわかります。

 

その助けはロザリオの祈り、または3度のアヴェ・マリアの祈りでも

約束されていることですので、ぜひ今のうちから祈って、

ジャッジメントの時に聖マリアの助けをいただきましょう!

 

・・・さて、ここまでで、最後の4つのことを全て網羅しましたが、

聖書では、実は、このジャッジメントが2回ある、

ということを教えています。

次回には、そのことについて見ていきましょう。

 

(つづく)