前回では、The Eucharistic Prayerの2項目目、Preface and Acclamationまで行って、神に喝采の声を上げたところまで行きました。

いよいよ、ここがミサのクライマックス!捧げられたパンとワインがキリストの御体、血潮となる時がきます。

(再び、グレーの文字は私の方で注釈として加筆した部分です、今回グレーが結構多いかな・・)


 The Eucharistic Prayer(つづき)

Institution Narrative: Consecration;

(会衆はここでひざまずきます、キリストの前に出るからです)

司祭は引き続き感謝の賛美を捧げる祈りをし、そしてたった今、会衆から捧げられたパンとワインが、聖霊によってキリストの御体と血潮に変えられるように祈ります。さらに司祭は、最後の晩餐の場面をもう一度思い起こします、これら一連が”Institusion of the Eucharist”です(これ、日本語わかりません、ごめんなさい)

前Pope、ベネディクト16世さん

ここはとてもとても大事な時。この時に捧げる祈りはいくつかパターンはありますが、信仰のmystery、奥義の宣言となっています。例えば:キリストは死に、キリストは蘇られ、キリストは再び来られる。などです。

会衆が一同に唱えるのですが、今一般的に使われているのは3パターンあって、どのパターンが使われるのかは司祭次第です。

司祭: The mystery of faith.

会衆:
We proclaim your death, O Lord,
and profess your Resurrection until you come again.
(→このパターンが一番多い気がします)

or

When we eat this Bread and drink this Cup,
we proclaim your death, O Lord,
until you come again. (see 1 Cor 11:26)

or

Save us, Savior of the world,
for by your Cross and Resurrection,
you have set us free. (see Jn 4:42)

続いて司祭は、神の成した素晴らしい救いの業:キリストの受難、死、復活を再び思い起します。

(この場面、私的にはまさに、カルバリの丘のキリストの十字架を見る思いです)

Prayer for unity and intercessions;

その偉大な神の救いの業を思うと、その思いは私達を強い懇願へとリードします、Euharistを通しての私達の中心的な願い、それはunity、一致、です。

“May all of us who share in the body and blood of Christ be brought together in unity by the Holy Spirit, キリストの身体と血潮がシェアされた私達が、聖霊によって一致へと導びかれるように”(Eucharistic Prayer ll)。

この祈りに加えて、ローマとそれぞれの地元にいるBishop(司教)のために、今生きている人々とすでに亡くなった人々のため、特に私達自身のために祈り、その祈りが※Saints、聖人たちによって執り成され、かの日に、天にある本物のテーブル(この世でのテーブルは本物の味のヒントとなります)に彼らと共につく日が来る事を願い祈ります。

私達はそんな栄光ある日を待ち望んでいます、そして私たちより先に天に行った聖人たちの声と共に私達の声も上げられるごとく、司祭は聖別されたそのパンとワインを掲げ、乾杯をし、a doxology: キリストの名による神の栄光の祈り、がなされます。

司祭:
Through him, and with him, and in him,
O God, almighty Father, in the unity of the Holy Spirit,
all glory and honor is yours, forever and ever.

Through him, and with him, and in him,…

 

この祈りに私達も同意を現し、この全てのEucharistic Prayerに私達も加えられている、という意味で、Amenと応答します。

※聖人=神の友達、という意味です。神の御国に入れられた、と教会が承認した人々のことを聖人と呼びます。


 

The Communion Rite

Our Father and Sign of Peace:

キリストのテーブルにつき、そこで食べ、飲むための準備として、キリストが私達に教えられた「主の祈り」がここで会衆一同で唱えられます。(→立ち上がって祈ります)

「・・・我らの糧を今日も与え給え。
我らに罪を侵すものを我らが許す如く、我らの罪をも赦し給え・・・」

ここには、”communion”:意味は”union with”, 一体になる、神との和解と一致、そして他者との和解と一致、が表されていることがわかります。その言葉通り、和解と一致、赦しを表すために、今度は実際に態度で、その場の周りの人に平和のしるしを表すように促されます。→アメリカの教会では、互いに”Peace be with you”と言いながら握手を交わしたり、手が届かない人には手を挙げてpeaceを分かち合います。

Invitation to Communion:

互いにpeaceを分かち合った後、会衆一同で唱えます、

Lamb of God, you take away the sins of the world:
have mercy on us.
Lamb of God, you take away the sins of the world:
have mercy on us.
Lamb of God, you take away the sins of the world:
grant us peace.

 そして再びひざまずきます。

Behold the Lamb of God…
見よ、神の子羊…

その後、司祭はキリストの身体(=パン、すでに割かれている)と血潮(=ワイン)の入った盃を私達に見せるように掲げ、そのテーブルに私達を招くがごとくに促し、このように言います、

>>今では、ここでも対話式の宣言になっています。

司祭:
Behold the Lamb of God, behold him who takes away the sins of the world.
Blessed are those called to the supper of the Lamb.
会衆:
Lord, I am not worthy that you should enter under my roof,
but only say the word and my soul shall be healed.
(この言葉は、百人隊長がイエスに、自分の部下を癒してほしいと願いに行った時のセリフ:マタイ8:8ですね)

そして会衆は、祭壇に向かってprocession、マーチするように進んでいきます。

Communion

昔々、神様が、荒野を旅する人々=私達の祖先を養ったように、今も神様は、私達にもこの人生の旅路の中で食料を与えてくださいます。

現Pope、Francisさん。教皇でもEucharistを扱う時は帽子を脱ぐんですね。

 

祭壇にいる司祭や、Eucharistic ministerと呼ばれる、その働きをする方々がパンとワインとを人々に配ります。その時に、パンなら「The Body of Christ、キリストのからだです」と言いながらパンが渡されるので、私達はAmenと言って受け、食べます。同じようにワインも「The Blood of Christ、キリストの血潮です」と言われるのでAmenと言って飲みます。

ワインの場合、盃は同じ盃から複数の人が飲みますが、その盃を持っている人(minister)が一回一回飲みくちを布で拭いてくれますから大丈夫です。でもワインは強制ではないので(本物のワインなのでアルコールがダメな人もいるでしょうし、衛生上の理由からの人もいるでしょう)飲まない人も結構います。私はもちろん、必ず!いただきます。

その間、通常賛美歌が歌われ、その賛美を通して私達の声、心、思いを一つにし、さらにキリストの御体と血潮が私達の身体と一致するように、という思い、また神への感謝と賛美、このsacrament(秘跡)の約束が与えられるように、と願います。

この後、司祭は私達の祈りを全て集約するように、the Prayer After Communionを祈ります。


(お疲れ様でした!次はいよいよ最終章、Part 4に続きます)