* Good Friday

続いて次の日、3/29金曜日、いよいよイエスが十字架に付けられる日です。この日も教会では朝からさまざまな祈り会がされていましたが、午後3時からがメインのプログラムがスタート:イエスが十字架で息を引き取った時刻ですね、昨日のHoly Thursdayのミサに引き続いた形で行われました。会堂のさまざまな飾りは一切取り去られた状態で、さらにこの日は会堂に入るときも誰とも挨拶はなし・・イエスの死を思って喪に服す、という状態でしょうか・・とても静かな雰囲気の中でプログラムが始まりました。

[pe2-image src=”http://lh6.ggpht.com/-DV2pNxIyNsw/UW2WiYtD87I/AAAAAAAABIo/Zbbuf9ch4pI/s144-c-o/IMG_1372.jpg” href=”https://picasaweb.google.com/115169876715776969387/HolyThursdayGoodFriday#5867511407024796594″ caption=”この日のテーマカラーは赤、ですね〜平日昼間でも、後方にエクストラで設置された椅子が全て埋まるほど人がいっぱい。なんでもGood Fridayだから、と休みや早退ができる会社もあるとか。” type=”image” alt=”IMG_1372.jpg” pe2_img_align=”none” pe2_gal_align=”none” ]

まず何の開会の挨拶もないまま神父が2人祭壇に進み出て、祭壇上におもむろに突っ伏してしばらく黙祷?、それがスタートでした。これがかなりのインパクトで。。一気に会堂全体が厳粛な雰囲気になるのを想像していただけるでしょうか。。

この日に読まれるGospel(=福音の意味のほう)の箇所はヨハネ18~19章と決まっているようです。イエスがローマ兵に捉えられ、十字架にかかり墓に葬られるまでのところですね。ヨハネは他の福音書とはちょっと違って、特に苦難よりもその中でイエスの力やmajesty:王としての威厳が表されているのが特徴です、例えばイエスがゲッセマネの園で捉えられた場面ではローマ兵がイエスの言葉を聞いて硬直してみんな倒れちゃった、とか、切られた耳を癒されたりとか、ピラトの尋問に対して「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もない」(ヨハネ19:11)と直球の応答だったりとか。最大の苦難の中でもイエスが全てをコントロールしている様子が良く描かれているんですね。

木曜日もそうでしたが、Gospelはメロディーに載せて2章まるまる、かなり時間をかけて全て読まれました。一人がナレーター、一人がイエス様、あとの一人はその他の人物、と3人で。これを聞くたびにいつも思いますが、職業柄、練習がどれだけ大変かな〜、メロディーを覚えるのがまず大変だよな、一人がつまずいたらみんなが止まっちゃうよな、とか、そんな事ばかり気になってしまいます。。いえいえ、Gospelの内容に集中するよう努力して聞きました。十字架でイエスが息を引き取られた場面では、全員ひざまずいて黙祷の時間を持ちました。

[pe2-image src=”http://lh6.ggpht.com/-06w_-wvbfu0/UW2Wh-UBlMI/AAAAAAAABIo/B1cw0z3kAZY/s144-c-o/IMG_1371.JPG” href=”https://picasaweb.google.com/115169876715776969387/HolyThursdayGoodFriday#5867511399940461762″ caption=”十字架に触れて祈る・・実際すごいインパクトがあります。この時は私達も参加出来ました” type=”image” alt=”IMG_1371.JPG” pe2_img_align=”none” pe2_gal_align=”none” ]

また、この日のメインはもちろんイエスの十字架です、伝統的にイエスの十字架像が掲げ上げられ会堂内をprocessionするそうです。processionで運ばれた十字架像は祭壇前に留まって、会衆の一人ひとりがめいめい順番に十字架に触れたりキスしたりして祈りが捧げられました。まさにイエスがゴルゴタの丘で息を引き取られた時に、その場に居合わせたような気分になりました。私はイエスの足にキスをして、私のために払って下さった犠牲の大きさを想って心から感謝しました。っていうか、こういう時って感謝しか出てこないですね。言葉では言い表せないというか・・この体験ができたことだけでも、とても大きかったです。ここまで導いて下さった主に感謝!

そして、いよいよEasterです。