Carrying the Crossにつづいて、いよいよ最後のMystery、The Crucifixion、十字架に磔(はりつけ)にされる、の回です。

聖ファウスティナの日記で、たびたび、イエス様が十字架にかけられている姿をファウスティナさんに現されている様子が綴られています。その場面を想像するたびに、イエス様は常に私たちのために犠牲を捧げ続けてくださっているのだ、と思わされます。なぜなら神に”時”はないから、です。2016年前のことだけではなく、今現在のことでもあるわけです。

なので、教会の十字架にイエス様がいないと、やはり寂しいな〜と感じるのです。からっぽの十字架・・ただの十字架であれば、それは誰の十字架でも成り得てしまいます、当時たくさんの人が十字架刑に処せられたのですから。しかしイエス様がいらっしゃるから初めて十字架が意味を持ってくる。。もちろんイエス様は復活されたのですが、同時に十字架の苦しみをも私たちはもっと考えるべきなのだ、と私は思うのです。

私たちの救いのために支払われたイエスの十字架の犠牲・・・それを思いながら、日々私たちが感じる苦しみ、痛みを、イエスの受難に合わせて、罪人の救いのために天の御父にささげなさい、とイエス様はおっしゃっています。


The Crucifixion

I saw the Lord Jesus nailed upon the cross amidst great torments.
A soft moan issued from His Heart. After some time, He said,

I thirst. I thirst for the salvation of souls.
Help Me, My daughter, to save souls.
Join your sufferings to My Passion
and offer them to the heavenly Father for sinners
(1032).

I saw two rays issue from His side,
just as they appear in the image.
I then felt in my soul the desire to save souls
and to empty myself for the sake of poor sinners.
I offered myself, together with the dying Jesus, to the Eternal Father,
for the salvation of the whole world (648).

大いなる苦悶の内に十字架に釘づけられている主イエスを見ました。
小さなうめき声が主の御心からもれました。主は言われました。

「渇く。霊魂たちの救いに渇く。
我が娘よ、霊魂たちを救うために、手伝いなさい。
あなたの苦しみをわたしの受難に合わせて、
それを罪人たちのために天の御父に献げなさい。」

それから、ちょうど御絵に現れているのと同じように、
2つの光線が主のわき腹から出ているのを見ました。
すると、霊魂たちを救いたい、
哀れな罪人たちのために私自身を無にしたい
という望みを霊魂のうちに感じました。
全世界の救いのために、
臨終のイエスと一緒に私自身を永遠の御父に献げました。

Eternal Father

Eternal Father, I offer You the Body and Blood,
Soul and Divinity of Your dearly beloved Son,
Our Lord Jesus Christ,
in atonement for our sins and those of the whole world.

永遠の父よ、私たちと全世界のすべての罪の贖いのために、
あなたの最愛の子、私たちの主イエス・キリストの御体と御血、
御霊魂と神性を御前に献げます。

For the sake of His Sorrowful Passion

For the sake of His Sorrowful Passion,
have mercy on us and on the whole world. (10 times)

イエスの痛ましい御受難によって、
私たちと全世界に慈しみを注いで下さい。