ふと、昔書いた記事が出てきたので、せっかくなのでこちらに載せたいと思います。

もうご存知のストーリーと思う方もいるかもしれませんが、

まだ知らない方のために。。

 

私がどのようにして音楽の道、そしてゴスペルの道に入るようになったのか、

紐解いてみました。

 

シリーズでお送りします。

 


私を音楽に導いた3つの出来事

私はもともと、歌手になろう、なんていう夢は

正直全然持ったことがありません。

 

最初バンドを始めた時に、ボーカルにはなりたくなくて、

他に何ができるかと考えて、叩けば音が出る、という理由で

ドラムを選んだぐらいです。

 

そんな私が、なぜプロシンガーになったのか・・

私のボーカル人生において大きな影響を与えてくれた3つの事を綴っていきます。

 

その1:カーペンターズ

私がカーペンターズを初めて聴いたのは、

きっと小学校に上る前、4〜5歳の時だったんじゃないかと思います。

 

ある日突然、父が、(きっと)質屋で、

キャビネットぐらいの大きさのレコードプレーヤーを買ってきました。

私は最初なんだかわからなかったですが、

木製で、真ん中の扉を開けると中にプレーヤーがあり、

その両端にはスピーカーがすでに内蔵されてて、

レコードを縦に入れる場所も中についていた、

一見家具のような感じの、

小さい私にはとても大きく感じるレコードプレーヤーでした。

 

それと一緒に買ってきてくれたのが、

岸千恵子さんの民謡のアルバム(両親は民謡好き)と、

なんと、カーペンターズ二枚組のベスト盤みたいなアルバムでした。

私はそのカーペンターズを聞くのが大好きで大好きで、

それからもう、毎日のようにず〜っと聴いていました。

 

そうすると、子どもの記憶力ですから、すごいんですね、その吸収力。

何度も聞く内に、しまいにはぜ〜んぶ一緒に歌ってましたよ。

「♪ドンチュー リーメンバ ユートーミー ヨーラ〜ミーベイベ〜♫」

とかいって。(笑)

 

アルバムの曲順まで、全部覚えてましたね。

もちろん英語も習ったこともない子どもですから、

意味なんてなーんもわかりません。

でも、それが返ってよかったんでしょう、

聴いたままそのままを歌いますから、

英語のリズム、発音、リズム感など、

いろんな面で知らず知らずに発達していったんだと思います。

 

御存知の通り、カレン・カーペンターさんは発音もとってもきれい。

なので、そのきれいな発音がその時に自然と身についたのかな〜と思うわけです。

 

いつの日か、そのプレーヤーはなくなってしまいましたが

(きっと父はまた質屋に戻したんでしょうね)、

その時に身についた音楽は、ずっと残りました。

 

知らないうちに、英語の発音やらリズム感やら、

今の私の大部分をその時に培ったと行っても言い過ぎではないですね。

 

しかし、声の低さは・・

もしかしたらその時にできあがってしまったのかな〜。。(汗)

この時のアビリティが後々私の仕事を大いに助けてくれるなんて、

このときは知る由もありません。。

 

(その2につづく)