むかーし私がBible Studyを開いていたころのテキスト(2000年3月4日の日付になってる!)を発見!とても内容が良いのでこちらに紹介させていただきます。レジメなのでちょっと見にくいかも知れないのと、10年前なので文章や内容にいたらない点があったとしても、どうぞご了承下さいね☆ 😮

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「GOSPEL=賛美について」

ゴスペルでうたわれている内容は、ほとんどが聖書の記述に基づいていたり、もしくはイエス・キリストを信じる信仰、または感謝、励まし、告白などが歌われています。賛美について、今回は聖書の記述に照らし合わせて、いったいどのような役割があるのか、私たちはどのようにとらえればいいのかを見ていきます。

●賛美とは

1.神に栄光をお返しすること、崇めること

イザヤ43:21  わたしのために造ったこの民はわたしの栄誉を宣べ伝えよう。

2.感謝すること

詩篇100:4

感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。

コロサイ 3:16

キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。

3.神に捧げる礼拝、供え物

ヘブル 13:15

ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。

詩篇 69:30-31

私は神の御名を歌をもってほめたたえ、神を感謝をもってあがめます。それは雄牛、角と割れたひずめのある若い雄牛にまさって主に喜ばれるでしょう。

4.信仰告白

●賛美の役割

・神の栄光(=神の力の現れ)を忘れない

神が私たちに成し遂げてくださったこと(見捨てられなかった、救われた、または何か記念となるようなこと)を歌にすることで、忘れることがないし、また過去にしてくださったことなら、再度してくださる、と思い起こすことができます。

・神の尊さを宣言し、私たちがどれだけ神を思っているかを表す

・神の大いなる力、力強い御業を心から認めると、必然的に賛美が生まれてくる。

詩篇150:1-6

ハレルヤ。神の聖所で、神をほめたたえよ。御力の大空で、神をほめたたえよ。その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。そのすぐれた偉大さのゆえに、神をほめたたえよ。角笛を吹き鳴らして、神をほめたたえよ。十弦の琴と立琴をかなでて、神をほめたたえよ。タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。鳴り響くシンバルで、神をほめたたえよ。息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ。

・一致させるため

→賛美によって、皆の異なる思い、霊、心を一致させることができ、その賛美の中に神が住まわれ、主の臨在に触れることができる

第二歴代 5:13-14

ラッパを吹き鳴らす者、歌うたいたちが、まるでひとりででもあるかのように一致して歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパとシンバルとさまざまの楽器をかなでて声をあげ、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」と主に向かって賛美した。そのとき、その宮、すなわち主の宮は雲で満ちた。祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。主の栄光が神の宮に満ちたからである。

詩篇 22:3

けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。

詩篇 100:4

感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。

例:問題を神に告白して、その解決を祈れば祈るほど、信仰が揺さぶられます。なぜならそれは問題に目を留めてしまうし、実際よりもますます問題が大きく見えてしまいます。しかし、賛美をする事は主の門にはいること、必ずその問題に対しての勝利を得るはずです。

・賛美は神を喜ばせる

→賛美は神だけが値することであるし、神もそう願っておられる。

黙示録 19:5-6

また、御座から声が出て言った。「すべての、神のしもべたち。小さい者も大きい者も、神を恐れかしこむ者たちよ。われらの神を賛美せよ。」また、私は大群衆の声、大水の音、激しい雷鳴のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた。

しかし、うわべだけのものや、犠牲を払うような強いられたものではありません。捧げ物である、ということは、傷のない、最上のものでなければならないからです。

→賛美が困難だ、と感じる時でも、神様が賛美を与えてくださる。

イザヤ 57:19

わたしはくちびるの実を創造した者。平安あれ。遠くの者にも近くの者にも平安あれ。わたしは彼をいやそう。」と主は仰せられる。

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(vol.2へつづく)