(#1からのつづき)

病院では一つも手術はできない状態で、ただ療養を続け、ついに12月退院した時も頭蓋骨にネジによって固定された強制器具(みんなはこれをヘイロー:halo よく聖画で頭の上に描かれる光の輪、と呼んだ)で、少しも首がまわらないよう固定して安静にしている他なかった。その器具も翌年の4月には外すことができ、その後5月に教会に復帰するに至った。教会へ行くのに事故を起こした時と同じ道路を運転しなければならず、精神的にとても厳しかったが、なんとかそれも超えられた。

ある日教会のミサの中で聖書を朗読した、その箇所はルカ13:1-9で、ある農園の主人の例え話の箇所だった。

それから、この譬を語られた、「ある人が自分のぶどう園にいちじくの木を植えて置いたので、実を捜しにきたが見つからなかった。 そこで園丁に言った、『わたしは三年間も実を求めて、このいちじくの木のところにきたのだが、いまだに見あたらない。その木を切り倒してしまえ。なんのために、土地をむだにふさがせて置くのか』。 すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。 それで来年実がなりましたら結構です。もしそれでもだめでしたら、切り倒してください』」。

その時突然、そのページが光り出し、大きくなって自分に迫ってきた(私は自分がドイツ人=ドイツ系アメリカ人で、こういった非現実的な事は根本的に信じない気質です、こういう事は私には通常起こり得ない)。動揺するも、なんとかそのミサを終えて司祭室に戻った。気を取り戻すために椅子に座りコーヒーを何杯か飲んで「いったいさっきのは何だったのか」と思いめぐらしていた時、なんと、実際に(Virtually!!)自分がイエス・キリストの前の審判の席に座っていることに気づいた。そして時間がどれぐらい経ったのかはわからないけれど、自分の全生涯を見せられ、その中で、特に司祭としての勤めの足りなさを指摘されて、私はただひたすら「YES」という他なかった。イエスは真実 (Truth)しかおっしゃらない、その時私たちは一つも弁解することなんかできない。

そして最後にイエスは言った「私の判決は、地獄だ」と。それに対してもやはり「YES」としか言えなかった。その前まではたくさんの弁解できる言葉を用意していたつもりだった、しかしそんなものは役に立たず、それが私にはふさわしい、としか思えなかった。

その時、ある女性の声がした。「Son, Will you please spare his life, and his eternal soul?」=息子よ、どうか彼の人生を、彼の魂を許してやってくださいませんか、しかしイエスは「お母さん、彼は12年も神父として働き、その間十分チャンスがあったのです、だからその罰に値するのです」。しかし彼女は続いて言った「もし彼を許してやって、特別の恵みと力を与えるなら、彼はこれからたくさんの実を結ぶでしょう」・・・その後しばらくの沈黙の後、イエスは言った「Mother, he is Yours」・・・その時から、自分は彼女(聖母マリア)のものとなった、と確信している。そして無事にまたこの世に戻ることができた。

(#3につづく)