Fr. Barron comments on The Lord’s Prayer

Catholic Church の神父でFr. Barronさんという方がいます、こちらではとても有名な先生で、ヘブル語、アラム語、ギリシャ語に精通し、聖書を原語の意味から解説してくださる先生です。ご自分でCatholicism というDVDシリーズを作って(4年がかりだそうです)、こっちのクリスチャン系のテレビ局でもよく放映されてますが、映像もとても美しい、私も大好きなプログラムです。

(内容は・・・はい、まず英語を理解するのがとても難しいです!←アメリカ人でも時々難しいそうですから)

Word On Fire : http://www.wordonfire.org/

Fr. Barron が解説されている「主の祈り」= The Lord’s Prayerから、またまた大発見がありましたのでシェアしたいと思います。

“主の祈り”の一節、
「我らの日用の糧を 今日も与え給え」(マタイ6:11)

(YouTubeの動画では4’26”あたりから解説がスタート)

Fr. Barronによると、この節の原文では、日本語で訳した「糧」とか「食物」にあたる言葉は「エピウジオン」で、実はギリシャ語の他のどんな文献にも出てこない、ここにしか出てこない特別な言葉だそうです。その後訳されたギリシャ語(なのかな?)ではこの言葉をSuper Substantial bread = ”本質的に最も重要なパン”(日本語で表現するのは難しい・・)という意味の言葉になりました。

実はここで扱われているテーマは、Catholic churchでは最も大切に扱われているEucharist=聖餐のパンのこと。

 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。(マタイ26:26)

このパンはCatholic Churchにとっては、イエスの御身体そのもの、なんですね。決して”象徴”として受けるものではなく、まさにイエスの体そのものを自分の体に取り入れて、イエスと一体とならせていただく、という最も神聖で重要な儀式として、Massの中で必ず毎回行われます。ですので扱いもプロテスタントとは全く違います、まるでイエス様ご自身を扱うがごとく、神父も会衆も、このパン(とワイン)に対して跪いたり祈ったりと、それは丁重に振る舞います。

→ちなみに、このパンとワインは、ある特定の教会で、シスターたちの手によって一括して作られており、そのレシピもできるだけ2000年前当時のものに忠実に作られているそうです。

なんと、主の祈りでいつも祈っていた「日曜の糧」とは、日々の食物を願っていると同時に、イエス様の体を毎日取り入れさせてください、そしてキリストの御姿に日々近づかせてください、という祈りだったんですね!何度となく祈ってきたこの主の祈りも、かなり違った観点から祈れるようになりました。

いや〜〜〜、深い!!!

→とりあえず、内容が膨大なので、今回はこの1点のみ、ってことで。。。他のサブジェクトも追って取り上げていきたいと思ってます。