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なぜカトリック教会では女性が司祭になれないのか?
カトリック教会では、司祭は男性しか認められていません。
イエスが弟子のペテロを通して教会を建てる、と伝えて教会が誕生してから、今に至るまでの約2000年間、ずっとその伝統を守って来ました。
「わたしは言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。
わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは天上でもつながれる。 あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」(マタイ16:18-19)
今でこそ、女性の司祭を立てよう!と言う動きも出て来ているのですが、未だその伝統は破られていません。
が、それはなぜなんでしょう?
こちらに、クリス神父による、とても分かりやすい解説がありましたので、そちらを訳してシェアします。
命の種を与えるのは男性です
女性が司祭に叙階されない理由は、性差別やえこひいきではありません。
祭壇からは命を与える種である、ご聖体が与えられます。
命はどのように創造されるのでしょうか?それは一人の男性と一人の女性の間で生まれるのです。
二人の男性の間では創造できませんし、二人の女性の間でも創造できません。
では、命を与える種を与えるのは誰でしょうか?男性です。
それは、女性によって受け取られ、育てられ、産み落とされない限り、どこにも行き着きません。
ですから、それが起こると、男性は父親になり、女性は母親になるのです。
父である司祭と、母である教会
私たちには何があるでしょうか?
祭壇にいる司祭は父(Father、神父 )と呼ばれます。
そして教会は何と呼ばれますか? 母です。
ですから、司祭が祭壇から命を与える種を出すと、教会はそれを受け取ります。
会衆の中であなたが男性であろうと女性であろうと、教会は女性的(feminine)です。私たちはいつも教会を女性的なものとして言及しており、男性的(masculine)なものとして言及したことは一度もありません。
私たちは教会を母教会(Mother Church)と呼びます。なぜなら、彼女は種を受け取るからです。
私たちはその種であるご聖体を自分の中に取り込み、それを育て、人生へと出て行き、徳と、キリスト者としての模範(もはん)と忠実さを生み出します。そして、それを生み出せば、それは命を与えます。
だからこそ私たちは彼女を母教会と呼ぶのです。
