クワイヤでゴスペルを歌う事の醍醐味は、なんといってもそのダイナミックなハーモニーです。ゴスペル曲はほとんどが三声、高い方からソプラノ、アルト、テナー(でプラス、時々ベース)で構成されています。

特にブラック・ゴスペルの曲は、全体的に音程が高い曲が多いのですが、特に男性がアルト付近の音階を歌うこともよくあるんですね。その男性の高音が、歌う本人にしてみたら非常に厳しいんですが、これがかっこいい!という部分でもあったりします。

(だから、日本のゴスペル人口の中では、男性が少ないのかもしれません。。)

そのハーモニーはシンプルな時もあれば、とても複雑な時もあります。そのパートごとにメロディーを覚えるだけでも大変ですが、三声が合わさった時の美しさを思うと、誰でも一生懸命にがんばってしまいますね。

 

ハーモニーは調和

このハーモニー、という言葉、調和、という意味です。

どのパートが突出しても調和は成り立ちませんし、誰かが周りを無視して、自分の世界を作って歌ってしまっても、まわりとは調和しません。ここに大きな学びがあると思います。

複数の人数で歌うことは、一人で歌うことでは味わえないダイナミックな歌声や、まわりに混じって隠れて歌える、という楽しさ、楽さがある反面、全体をまとめて一つの歌に作っていくというところに難しさがあります。

どこかでピッチが下がれば、全体がそれに引きずられてピッチが下がる、歌い出しのタイミングがずれれば、リズムが合ってなければ、まわりもそれに引きずられて・・という危険です。

なので、一人ひとりがその歌に責任を持って歌い、またパートごとに、さらには全体で一つになって歌えるように、しっかりまわりの音を聞いて、自分の声をまわりの声にブレンドさせ、バランスを取る、というような事を自然と意識するようになっていくんですね。まさしく、調和という事がここでキーになってきます。

 

ゴスペルを歌う対象を履き違えない

また、ゴスペルでは、その主役、歌う対象は、あくまでも神、イエス・キリスト、が大前提です。なので、一般的な音楽とは一線を画します。それをしなくていいなら、あえてゴスペルである必要が無いわけですね。

逆に、そこを他の音楽と混同して、自分を見せるため、パフォーマンス思考のゴスペルになってしまうと、なんとも不思議な空気が流れてしまうものなのです。ハレルヤ!、神をほめよ!と言いながら、自分をほめている状態になってしまうわけです。

しかし、ここらへんが、非常に難しい。。

ゴスペルの紹介でも触れましたが、歌っている本人は、歌っている曲の歌詞に励まされ、慰められながら歌っている、だからゴスペルを歌っているんですよね。

ということは、その気持は自分ではなく、観客でもなく、神に向いているわけです。この方向性が、クワイヤのグループ全体で神の方向に一致すると、それはそれはものすごい大きな力を生みます。

これが例えば、メンバー一人ひとりが、「私、こんなに歌ってるから、私を見てみて〜!」という感じで、メンバーがそれぞれで歌っているところを想像すると・・なんとも白けた空気になってしまうのは、想像に難くないでしょう。端的にいうと、神のことを歌っていながら、神を無視している状態です。

ここが、指導者としてしっかりと方向付けをしてあげる必要がある、とても大事な部分になります。歌唱指導ももちろん必要ですが、何のためにゴスペルを歌うのか、という、もっともベースになるところを明確にしていくことで、クワイヤも方向性を迷うことなく歌うことができ、結果的にはものすごいエネルギーを生む、美しいハーモニーを作り出していくことができるようになると思います。