映画「エクソシスト」は実在するストーリーが元になっています

1973年に公開された映画「エクソシスト」をご存知でしょうか?

この映画の強烈な映像は、いくつかの断片として私も子ども心に覚えています。たぶん恐くて、映画は見れなかったような覚えが・・💦

実はこの映画のストーリーは実在する話しが元になっているようで、その内容が書かれた記事、

This Is How Saint Michael Cast Out Satan From Robbie Mannheim

がとても興味深かったので、こちらにざっと訳してシェアします。

かなりボリュームがありますので、何回かに分けてお届けします。

人の力では到底及ばない、目に見えない世界での天使と悪魔の戦いが繰り広げられている様子が目に浮かぶような内容です!

Robbieから悪魔を追い出した聖ミカエルのお話

今年(2019年)はアメリカにおいて、記録に残されているエクソシズム=悪魔祓い、が始まって*70周年になります。

*注釈:さまざまな悪魔祓いが行われている中で、この参照は、イエズス会の司祭によるかなり詳細に渡って残された最初の悪魔祓いの記録による。

これはとても大切です、なぜなら、悪魔の大きな嘘のうちの一つは、

悪魔は存在しない、と人類に思い込ませること、だからです。

これが、悪魔祓いをドラマチックに仕立てた1973年の映画「エクソシスト」を観た観客たちの、その唖然とする反応の説明になるでしょう。

その映画のシーンの数々はあまりにも恐ろしく、映画館で観たたくさんの観客は、吐いてしまったり、あるいは気を失って救急車で運ばれる人もいたほどでした。

そしてある男性は、その映画館から出る時にこう叫びました、

「信じる、私は信じる!」

これはもう一度、悪魔の存在を信じた、という証しでしょう。

そんな映画の、数々の鮮明なシーンが見せた恐怖と、悪魔憑きに対する嫌悪感、

しかしその一方で、ストーリーの一番大切な部分である真実、

悪魔に憑かれた、メリーランドに住む少年についての話が取り残されてしまっています。

彼は、ファティマの聖母の執り成しと、大天使・聖ミカエルの力によって、その悪魔の支配から開放されたのです。

ウィージーボードと悪魔憑き

そのストーリーの主役は、ティーンエイジャー「ロビー・マナハイム」または「ローランド君」(仮名)で知られています。

ロビーの本当の身元や、彼の身内が隠し続けてきた、1949年に行われた悪魔祓いの、その並外れた出来事の詳細は、トマス・アレン著の本、[Possessed ]に慎重に記録されました。

ロビーはメリーランドのMount Rainier(マウント・レニア)で、カールとフィリス・マナハイム夫妻(仮名)の一人っ子として育ち、彼はしばしば大人たちとゲームをしました。

そんな中で、彼の叔母ハリエットはスピリチュアリストで、ミズーリ州のセントルイスに住み、頻繁にマナハイム家を訪れました。

1949年1月に訪れた時に、彼女はその13歳の甥(=ロビー)にウィージーボード(筆者注;日本で言う「コックリさん」のようなもの)の使い方を教えたのです。

その後まもなく両親は、息子ロビーの周りで奇妙なことが起こっていることに気づきました。

彼らはロビーの部屋から、絶え間なく続く水が滴り落ちる音や、その後、木をカギ爪でひっかくような音をがするのが聞こえました。

その同じ頃、叔母のハリエットが亡くなり、ロビーはウィージーボードで、彼女の霊と交信しようと使い始めたのです。彼は何時間もそのボードを使い、そのゲームが文字通り、possession=憑依(筆者注;所有、という意味も有ります)となるまで使い続けたのです。

すぐに両親は、ただごとではない身体的な異常;ひっかかれた跡やムチで打たれたようなミミズ腫れやアザなど、が息子の体にあることに気づきました、が、そのための明らかな理由がないのです。

さらに不安にさせたのは、彼が別の人格へと変わってしまうことでした。通常は普通に静かな、内気な少年が、突然攻撃的で、怒りを爆発させ、両親に向けた暴力的なかんしゃくを頻繁に起こすようになりました。

そしてある日、彼が知るはずのない言葉、ラテン語を話し出したのです。

その時、両親は「私達には助けが必要だ」と決断したのでした。

彼らのできるすべてのことを試しました、通常の医者や、心理学者、精神科医はもちろん、サイキック=超能力者までも試しました、が、

最後には彼らの牧師、ルーサー・マイルス・シュルツ氏を訪れました。

両親はすでに、邪悪な憑依である可能性を考えていましたが、シュルツ牧師は懐疑的でした。

彼は憑依を「中世の名残」と見なしていて、それは何か、ルーサーの起こした宗教改革によってクリスチャン世界が分断された時の、カトリックが残したもの、と考えていたのです。

(つづく→)