ある、素晴らしい司教(= diocesan、教区の監督、主教)のお話が YouTubeにありましたので、シェアします!

と、その前に、

まず昨日(3/16)、アメリカのトランプ大統領が会見しました。その中で、コロナ感染拡大を食い止めるためのガイドラインが発表されました。

以下、在ニューヨーク日本国総領事館からのメールの内容を引用:

3月16日午後,トランプ大統領は会見において,感染の拡大を阻止するための今後15日間を目途とするガイドラインとして、感染が拡がっている州においてはレストランやバーは閉鎖し、学校を閉鎖するように州知事に呼びかけるとともに、また、10人以上の集まりは避けるように,高齢者はできるだけ自宅待機し,他の人との接触を避けるよう求めました。

また、私の住んでいるニューヨーク州でも、

本16日午前,NY州知事は,NJ州知事及びCT州知事との共同声明において,同日(16日)午後8時より,3州のレストラン及びバーは,テイクアウト(持ち帰り)及びデリバリーに限り営業を認める,映画館,ジム、カジノは完全に閉鎖する,50名以上の集会を禁止する旨を発表しました。(なお,大型施設であるブロードウェイの全てのミュージカル劇場,カーネギーホール,リンカーンセンター(含むメット・オペラ),メトロポリタン美術館(The Met),近代美術館(MoMA)等は既に閉鎖されています。)

ということで、いよいよ地元のジムも閉鎖する(2週間を目処)としたり、スーパーの棚が空っぽになったり、ということが、こちらでも見られるようになりました。レストランやバーもクローズされるようです。

が、しかし、地元の教会はまだ開いていて、先日の週末(3/15)はミサにあたることができました。感謝です。

しかしいつクローズされるのか・・そんな不安が募ってきた頃に、このYouTubeの動画がシェアされて、本当に勇気づけられました!

ミネソタ州の司教のミサ中の説教です。

英語ですが、まずシェアします!

この動画の最初に出てくる行進(?)、”プロセッション”と呼ばれますが、まずイエスの十字架を先頭に、その次に四角いテントのようなものでカバーされた状態で、司教がイエスの御聖体であるEucharistが収められた器を、直に触らないように着物で手を覆った状態で持ち、掲げながら歩いています。その後を信徒たちがロザリオを祈りながら歩いています。

このプロセッションは、ミサの後に行われた様子です。(2020/3/15)

(もうこれだけで泣けてくる・・💦)

その後に説教の様子が映されますが、その内容をこちらにまとめます。ちょっと長いですが、とても大切なメッセージだと思いましたので、ぜひご一読下さい。

今は教会の受難の時期

今日はレント期間(キリストの受難に備える時期)の第3の日曜日、であるが、もうすでに私達はパッション、キリストの受難、そして教会の受難、の中にあるような状況だ。

教会が誕生して2000年、今まで教会がその群れ(=flock、信徒たち)を置き去りにしたり、逆に群れから孤立してしまったり、こんなことは起こったことがなかった。それが今起こっている状況だ。

このような時に、教会は何をしなければならないのか。

先祖の時代には、ひどい疫病、しかも死に至る確率がとても高いもの、が流行ったことがたびたび起こった。そのような時、古代ローマでキリスト教が公の宗教となる前の時代でさえ、クリスチャンたちは固く信仰に立ち、家に引きこもっている病気の人、病が進行して死の時を迎えようとしている人たち、クリスチャンだけでなく隠れている異教の人々のところへさえも訪れていった。その中で回心してクリスチャンになる人々もいた。

今の私達はまるで、その時代の異教の人々のように振る舞っている・・逃げ回り、そして隠れる。。今こそ固く信仰に立ち、周りの人達に仕え、慈善を行うべき時であるのに。。

次々に閉じられていく教会

この週末、教会はたくさんの場所で、本当にたくさんの場所でカギが閉じられ、聖なるミサ、そして御聖体にアクセスすることができなくなっている。

イタリアでは国中の教会が閉ざされ、信仰深い信徒たちが、真実の、そして現実に存在するイエスの御身体=御聖体に近づけない。教会自体の中心であるバチカンでさえ閉ざされた。

そして、このアメリカにおいても、教区が次々と、その信仰深い信徒たちに対して教会を閉ざしている、今の、私達が一番に神を必要としている時に。教会に行って神の前にひざまずくことさえできないのだ。

この教会はコロナ・フリー!

一つ、私が体験したことをお話しよう。

コロナ騒動のさなか、この週末もミサの準備のために、とカギをあけて教会に入った。この作業はもう15年も続けてやっているので、自分にとってはルーティーン、いつもどおりのことをしたまでで特別に何も予期していなかった。

と、教会に入り、ご聖櫃(=ご聖体が収められている特別な場所)に目を向けたその時に、突然、今まで経験したことのない、圧倒されるような平安に満たされるのを感じた。その時に思ったのが、

「ここが神の家、ここが私が属する場所なんだ」

それをあなたも感じていると思う。

そして私は宣言する、

「この教会の中はコロナ・フリー、コロナウィルスなし!」

教会のドアを通して入ってくるコロナウィルスを私は止めることはできないし、それは約束できない、が、教会の中での神の霊的な守りと、教会の外で起こっているコロナ騒動からの守りがあることは約束できる。

私が生きている間は教会は閉じません

そして今、この教区では、教会が閉じられるか閉じられないかは、それぞれの司祭に委ねられている、が、この教会は閉じない!このトラディショナルな形でのミサ(=ラテン・ミサ)は、私が可能な限り続けていくし、みなさんを歓迎します、他の人々にも伝えて下さい。

また、この教会が閉じられる時とは、私がコロナで死んで冷たくなって、その冷たい手から教会のカギが奪われた時です。

そして、もし強制的にこの教会が閉じられるような事があれば、他の場所を探します。それはもしかしたら市の公園かもしれません。もしくは今は誰もいなくなっているスポーツスタジアムを安く借りることも可能でしょう。もしくはクルーズを1日1ドルで借りることだってできるでしょう。もしくは地下教会、またはあなたの家になるかもしれません。

皮肉なことに、教会の歴史の中では、地下や家、納屋などに隠れてミサを行わなければいけないときが何度とありました、それは世間から、または帝国、腐敗した政府などから迫害されていた時でした。

しかし今は、自分たちを導く指導者からの圧力で隠れなければいけない、という事態になっています。このことを理解して下さい。今の状況(教会を閉じる、という選択)は、先代から受け継がれてきた教会の取るべき対応、とは異なっているのです。

教会にはびこる霊的な黒死病とその償い

コロナウィルスは確かに、全世界に広がる感染です、しかし今教会が直面している苦難とは、それよりももっとひどいものです。霊的なBlack Plague、霊的な黒死病です。

私にとって、教会の、そして全世界の中心である聖なるミサを閉じること、とは、反キリストの働きである、と感じます。真実のキリストがすることではありません。

私は聖水を置き続けます。それをみなさんがどう思うかはご自由です。聖水を使うことは義務ではありません。

そして御聖体を与えることを続けます。その御聖体を舌に直接与えることを拒否しません。(注釈:伝統的な方法である、御聖体を舌に直接与えることをさまざまな観点から否定し、禁止しよう、という動きも起こっています)いえ、私達のトラディショナルな形式のミサで行っているように、舌に直接与えること”しか”しません。

実は御聖体は毎回ミサで受けなければいけない、という義務ではないんです。ですから健康を憂慮して受けたくない気分であれば受けなくても構いません。

そして、この世の罪、そして教会の犯している罪を償うために、このミサが終了後、ただちに御聖体のプロセッションを行います。この教会を通り、この街の区画を周ります。

そのプロセッションで、罪と悪に対するもっとも強い武器、聖なるロザリオを祈ります。そして、この教会のドアは閉じない!という証を、最低でもこの街の人々に、そしてカトリック信者に示していきます。

私達は聖なるミサを無視しません。

そしてこのような危機的な状況の中で、キリストに立ち返ります。

羊の門=Sheep Gateのお話

みなさんもこんな話を聞いたことがあるでしょう。

牧者とは、その羊たちの匂いを自身にまとっている、それぐらい羊たちと常に一緒にいて働く仕事だから、と。

どのようにしてその牧者(教会の指導者)が、その羊たち(信徒たち)の匂いをまとうのでしょうか、教会から締め出しておきながら。

イエスのイメージに、ヨハネの福音書にある姿、牧者だけではなく、羊の門(ヨハネの福音書10章)があります。そのイメージでは、壁で囲まれていて、門は一つしかありません、そして牧者はその身を門に横たわらせて、自身がゲートになります。そのことによって、羊は囲いから出ないし、外から襲ってくる狼から羊たちを守ることができます。それが羊の門です。

今では牧者たちは、その囲いや着ているものを取り除き、羊を羊小屋の外へ放しているのです。その上彼らは自分たちの羊に対して壁を作っているのです。

病気や死にそうな人々を訪れたくても、恐れからか、掟からなのか、むしろ、牧者はそのような人々を見舞いに病院に入ることすらできません。

私の教会の信徒の一人がホスピスに入院中で、死の時期が近いことがわかっています。最近入院したばかりですが、あともう少し、1〜2週間はこの世での時間が残されていることがわかっています。しかしこの騒動で、家族でさえも愛する母に会いにホスピスに入れない事が、入院してその次の日になってわかりました。そして私も、彼女にとってこの世での最後の秘儀、御聖体を与えるために彼女に会いに行きたくても行くことが許されていません。

考えてみて下さい、私達(教会)は、介護病院や、病院、ホスピス、刑務所にいたるまで支持されなくなったのです、それゆえに、私達の愛する兄弟姉妹を孤立させたまま死なせてしまうのです。

分断されつつある教会

本日の福音書の箇所は、イエスが話した、家が分断され、サタン王国の基礎づくりがされる、という箇所でした。(ルカの福音書11章、ベルゼブルの話し)

みなさん、私達の組織的な教会は、その主人が分断されつつあります。そして、それはこの60年間発展し続けています。

このミサの締めの祈り(Closing Prayer)では、「主よ、私達を憐れんで下さい。この偉大なる御聖体を分けていただき、御聖体の中で一つとしていただいた私達を、罪と危険から逃れさせて下さい。。」と祈ります。

・・・

地下教会になっても!

と、司教のお話の訳はここまでにします。

ここから後は、大司教カルロ・マリア・ヴィガノ氏が書かれ、公開された書簡が読まれています。この手紙の中では最後に、教会は閉じられるべきではない!開かれるべきだ!と大司教はおっしゃっています。この声明は明らかに、教会のトップ、すでに閉じられているバチカンとは真っ向から反対する声明です。

このように、声を大にして「教会は開かれるべきだ」と言い続けてくれる司祭がアメリカにいるとは、なんと心強いことか!と思いました。

またその意見に同意して、この動画をシェアしてくださった地元の司祭(ラテン・ミサを行っている司祭です)にも感謝します。今、このような時だからこそ、教会が開かれるべきだ、と私も大賛成です。コロナよりも神様のほうが大事ですから!

ぜひ可能な限り教会のミサへ行き、御聖体をいただこう、地下教会になってもミサを開き続けてくれる司祭を祈っていこう、そうあらためて思いました。