Hiroshima after atomic bomb 1945
Hiroshima after atomic bomb 1945

今、日本は福島の原発事故の影響で、まだまだ放射能の被害が続いている、と聞きます。

というか、いろいろな情報があって、どれを読んでも深刻なものばかり・・というか、信じられない、というのが、私の正直な感想です。まさかこんなになっているとは・・・(涙)

そんな中、このようなとても興味深いニュースを見つけました。これは1945年8月6日、広島に原爆が落とされた日、その投下された地点からわずか1キロほどしか離れていないところに教会があって、もちろん被害はありましたが、木造の教会のほとんどは倒れることなく形をそのまま残し、教会内にいた神父たちは多少の傷はあったものの、ほとんど影響がなく守られた、という話です。

というか、なぜこのような奇跡があまり日本で知られていないのか、不思議です。。

その神父のお一人のインタビューの映像が残されています。こちら↓

そして、こちらに詳しいレポートがあります。↓↓

[Rosary Miracle – Safe in the Midst of Hiroshima Nuclear Blast !!] — Feb 2000 Dr. Stephen A. Rinehart  &  Dr. Richard F. Hubbell

と言っても全て英語で、とても量が多く・・全部は読み切れない!こちらに載せるのは無理!

あまりにも訳しきれないので、最初の要約文のところだけ、こちらに引用しますね。ご興味のある方はぜひ原文の方も読んでみてください。

Rosary Miracle at Hiroshima – August 6th, 1945

There was a home eight blocks (about 1 kilometer) from where the A-Bomb went off in Hiroshima Japan. This home had a church attached to it which was completely destroyed, but the home survived, and so did the eight German Jesuit missionaries who prayed the rosary in that house faithfully every day.

These men were missionaries to the Japanese people, they were non-military, but because Germany and Japan were allies during WWII they were permitted to live and minister within Japan during the war. Not only did they all survive with (at most) relatively minor injuries, but they all lived well past that awful day with no radiation sickness, no loss of hearing, or any other visible long term defects or maladies.

Naturally, they were interviewed numerous times (Fr. Schiffer, a survivor, said over 200 times) by scientists and health care people about their remarkable experience and they say “we believe that we survived because we were living the message of Fatima. We lived and prayed the rosary daily in that home.”

Of course the secular scientists are speechless and incredulous at this explanation – and they are sure there is some “real” explanation – but at the same time over 55 years later the scientists are still absolutely bamboozled when it comes to finding a plausible scenario to explain the missionary’s unique escape from the hellish power of that bomb.

広島にA-Bomb(原爆)が落とされた場所から8ブロック(約1キロ)ほど離れたところに家があった。その家は教会だったところで、完全に破壊されてはいるが、未だ家の形をとどめている。そして8人の、ドイツ人でイエズス会の宣教師たち:ロザリオを誠実に、毎日この教会で祈っていた、も生き残っていた。

彼らは日本人に宣教するために来た人々で、軍人ではない。ドイツと日本は第2次世界大戦の間は連合軍であったため、日本に滞在し、宣教することを許された人たちであった。彼らは生き残っただけではない、ほとんどが比較的軽傷で、その後も放射能による影響もないまま、聴覚も影響なし、その他目に見える影響や深刻な後遺症もなく、生き続けることができた。

当然、彼らは科学者から、または保健の立場にいる人々から、その驚くべき体験について多くのインタビューを受けることとなる。(その神父の一人、Schiffer神父は200回以上にもなった、と言っている)

彼らは言う「私達が生き残ったのは、ファティマのメッセージを信じて、そのように生きてきたからだ、と信じています。家(=教会)では毎日ロザリオを祈る生活を送りました。」

もちろん、一般的な科学者たちは、この答えに対して言葉を失い、とうていこの説明では信じられない、という反応でしたが。そして彼らは何か他の、”本当”の理由があるはずだ、と信じて、55年経った今日までも、あの地獄をもたらした大きな爆弾から、ユニークに抜け出すための、もっともらしいシナリオをやっと見つけては、科学者たちはまた完全な困惑に戻るのである。


この中に出てくる、ファティマのメッセージ、とは、1917年、聖母マリアがポルトガルの小さな町、ファティマに姿を現しなさって、3人の小さな子供たち(ルシア、フランシスコ、ジャシンタ)に語られたメッセージの事です。そしてこの小さな町で起きた大きな奇跡、「太陽のダンス」の奇跡は7万人以上が目撃して、新聞にも載った、という有名な出来事です。→古いですが、映画にもなっています。

詳しくは、こちらをどうぞ >> ファティマの聖母 Wikipediaより

その中のメッセージの一つとして「ロザリオを毎日祈りなさい」というのがあったんですね。

この時、3つの預言が子どもたちに託されました。第一、第二は公開されましたが、第三の預言はまだ明らかにされていません。聖母マリアは、1960年になったら第三の預言を公開しなさい、と伝えてあったのにも関わらず、その期日がとっくに過ぎた今でも未だにバチカン(この申し伝えは直接”教皇”に対してのものだった)は公表しないので、この預言についてはさまざまな事が言われ、YouTubeなんかでも数多く、このことが取り上げられています。

ここで第三の預言について語るのは控えることにして・・いつか機会があったらこのブログでも取り上げますね。

注目したいのは、ロザリオを、毎日祈りなさい!というメッセージです。そして、ロザリオが神父たちを原爆の被害から守りました。少なくとも彼ら自身はそう信じています。

ロザリオは敵(サタン)に対する最高の武器だ、とも言われます。ぜひこの時、ロザリオを祈る習慣を持ちましょう!きっと日本のこの放射能の害からも、日本を、私達を、家族を守って下さる、と信じて。。